宗教の倒錯(上村静)
書籍情報
- 著者:上村静(著)
- 発行日:2008-09-12
- ISBN:9784000234535
- URL:https://www.iwanami.co.jp/book/b261244.html
書籍目次
- 序章
- 1 <いのち>を生かす宗教・<いのち>を殺す宗教
- 2 「神話」としての聖書・「聖書」という神話
- 3 「歴史」との対話
- 第I部 イスラエル民族神話の成立
- 第一章 「神話」としての五所
- 1 天地創造物語にみる宗教心 ――生かされて在る<いのち>
- 2 楽園追放物語にみる宗教心 ――<エゴ>
- 3 カインとアベルの物語、ノアの洪水物語、バベルの塔物語に見る宗教心 ――「罪」ある人間存在と神によるその受容
- 3・1 カインとアベルの物語
- 3・2 ノアの洪水物語
- 3・3 バベルの塔物語
- 4 イスラエル民族神話 ――モーゼ五書のあらまし
- 第二章 王国時代 ――預言者の活動とバビロン捕囚――
- 1 カナンの地への入植
- 2 統一王国時代
- 3 王国の分裂
- 4 北イスラエル王国史と預言者の活動
- 4・1 アハブ王と預言者エリヤ
- 4・2 ヤロブアム二世と預言者アモス ――審判預言
- 4・3 北イスラエル王国の滅亡
- 5 南ユダ王国史とバビロン捕囚
- 5・1 アッシリアの脅威のもとで ――ユダ国王と預言者イザヤ
- 5・2 マナセとヨシヤ
- 5・3 エルサレム陥落とバビロン捕囚
- 第三章 民族宗教としてのユダヤ教の成立 ――民族アイデンティティの危機とその克服――
- 1 捕囚への応答
- 1・1 預言者たちの応答 ――救済預言
- 1・2 申命記史家
- 1・3 バビロン捕囚の帰結
- 2 シオンへの帰還と第二イザヤ
- 3 神殿、トーラー、民族
- 3・1 神殿の再建
- 3・2 ネヘミヤとエズラの改革
- 3・3 「残りの者」の思想
- 3・4 第三イザヤの「個人主義」?
- 4 モーセ五書、預言者、大司祭の権威
- 4・1 モーセ五書と民族アイデンティティ
- 4・2 預言者とモーセ五書
- 4・3 大司祭の権威と預言の終わり
- 5 「トーラー」という神話
- 1 捕囚への応答
- 第一章 「神話」としての五所
- 第II部 イスラエル民族神話の揺らぎ
- 第四章 ヘレニズムとユダイズム ――セクト運動の誕生――
- 1 ヘレニズム時代の幕開け
- 2 セクト運動の始まり ――エノク派の誕生
- 2・1 「天体の書」
- 2・2 「寝ずの番人の書」
- 第五章 マカバイ戦争とハスモン王朝 ――多様化するセクト運動――
- 1 大司祭職継承争いとヘレニズム化の推進
- 2 ユダヤ教弾圧とマカバイ戦争
- 3 ハスモン王朝とユダヤ教三派
- 第六章 ローマ支配 ――民族意識の高揚と蔓延するセクト的価値観――
- 1 ローマ支配の始まり
- 2 ヘロデの支配 ――王と大司祭の権威の失墜
- 3 ヘロデ死後の混乱 ――高まる終末意識
- 4 ローマの直接統治 ――対ローマ武力闘争派の台頭
- 5 在野のセクト運動の展開 ――<蔓延する境界の曖昧な個別主義>
- 6 ローマ総督とユダヤ人の衝突
- 第七章 後一世期パレスティナの空気 ――尖鋭化するユダイズムへの問い――
- 第四章 ヘレニズムとユダイズム ――セクト運動の誕生――
- 第III部 イエスの活動と思想
- 第八章 「信仰のキリスト」と「歴史のイエス」
- 第九章 前史
- 1 生い立ち
- 2 洗礼者ヨハネ
- 3 イエスの受洗と罪意識
- 第一○章 イエスの活動と意思
- 1 イエスの癒し行為
- 1・1 盲人の癒し
- 2 蔑まれた人びととの交流
- 2・1 町税人や在任との会食
- 2・2 見失われた羊の譬え
- 3 律法とイデオロギー
- 3・1 安息日問答
- 3・2 よきサマリア人の譬え
- 4 人間の価値基準
- 4・1 放蕩息子の譬え
- 4・2 葡萄園の労働者の譬え
- 5 神の支配とは何か?
- 5・1 終末論的神の支配
- 5・2 現在する神の支配
- 5・3 被造物を生かす働きとしての神の支配
- 6 イエスの宗教心
- 1 イエスの癒し行為
- 第一一章 死
- 第IV部 キリスト神話の成立と展開
- 第一二章 キリスト派の成立
- 1 キリスト神話の誕生
- 2 イエスの使信とキリスト神話の連続・不連続
- 第一三章 教会の発展
- 1 原始教会の成立
- 1・1 エルサレム教会の成立
- 1・2 Q集団
- 2 教会の拡大
- 2・1 ヘレニストの教会参加
- 2・2 ディアスポラのユダヤ人
- 2・3 ユダヤ人・異邦人混合教会の誕生
- 1 原始教会の成立
- 第一四章 パウロ
- 1 「教会の迫害者」パウロ
- 2 パウロの回心
- 3 パウロの実存理解と神学
- 3・1 「信による義」
- 3・2 「磔にされたままのキリスト」
- 3・3 パウロ神学の諸問題
- 第一五章 ユダヤ民族意識の高揚と教会内部の対立
- 1 アグリッパ一世の支配とエルサレム教会
- 2 ローマ総督支配と高まる民族意識
- 3 使徒会議とアンティオキア事件
- 4 教会内の三つの立場 ――ユダヤ教の契約と新しい契約
- 4・1 パウロ
- 4・2 完全派
- 4・3 中庸派
- 5 戦争の勃発
- 第一六章 キリスト派のユダヤ教からの分離
- 1 「ユダヤ金庫」「ユダヤ人」「クリスティアノス」
- 1・1 「ユダヤ金庫」の創設
- 1・2 神殿崩壊に対するユダヤ人の反応
- 1・3 セクト運動の終焉とユダヤ共同体からの追放
- 1・4 ドミティアヌスとネルヴァの政策
- 2 民族宗教としてのユダヤ教の再確立
- 2・1 キトス戦争とバル・コホバの乱
- 2・2 ラビ達の台頭
- 2・3 民族宗教としてのユダヤ教
- 3 邪教としてのキリスト教 ――ユダヤ人特権の喪失とキリスト教徒迫害――
- 1 「ユダヤ金庫」「ユダヤ人」「クリスティアノス」
- 第一七章 キリスト教の反ユダヤ主義
- 1 新約諸文書における非キリスト派ユダヤ人との対立
- 2 キリスト教聖書としての「旧約聖書」
- 終章
- 1 キリスト教の根本問題 ――ユダヤ教の一セクトとしてのキリスト教
- 1・1 <覇権主義>と<セクト主義>
- 1・2 克服できない反ユダヤ主義
- 2 神話の絶対化と宗教エゴ
- 3 キリスト教の自立のために
- 1 キリスト教の根本問題 ――ユダヤ教の一セクトとしてのキリスト教
- 第一二章 キリスト派の成立
- 文献表
- あとがき
序章
- 宗教は人を幸せにするためにあるはずなのに、何故その同じ宗教が宗教の名の下に平然と人を殺してしまうのか?
- [NOTE]
- 宗教が人を幸せにするためにあるという前提が誤りなのではないか?
- 宗教は人が人を効率よく支配する為のツールであると考えた方が自然だと思う
- 自らの人生全てを宗教に献じることは、表面的には信仰深く幸せそうに見えるかもしれないが、実際には自分の生の有り様を他人に依存し、自立した人間として生きることから逃げいているに過ぎないという場合も少なくない
- 神の実在が現実味を持ち得ない現代にあっては、もはや聖書を「神の言」としてその唯一性・絶対性・真理性を主張することは無益なだけでなく、有害でさえある
- 現代人にはもはや神話をそのままで事実として受け止めることはできないし、無理にそうすることは知性を犠牲にするだけでなく、結局は神話の伝える真実を手に入れることはできない
- [NOTE]
- 要するに聖書から得られるものは古来から伝わる格言・ことわざ程度のものでしかないし、それでいい
第1章
- [NOTE]
- キリスト教で意味がわからないのは、抽象的・偶像的な神とやけに具体的な人格神めいた神がしれっと両方現れることだと思う
- これは長い年月を掛けて伝わる内に継ぎ接ぎになっていることを示していると思っている
- 出エジプト記は最初から最後まで頭のおかしい神に振り回されるストーリーだが、ここで神なるものが何か良くないものに取って代わられたのではないか?という霊感がある
終章
- ユダヤ教は民族宗教
- キリスト教はユダヤ教の一派として発生した
- いくらヤハウェが世界の神だと主張してみても、イスラエルのローカル宗教であることに変わりはない
- イスラエル民族神が世界の神であるべきという夢想は覇権主義である
- キリスト教の喧伝する「普遍主義」とはキリスト教徒による世界支配を志向するものである
- 異文化・他宗教に対し、共存ではなく服従を要求することは「福音」とは呼べない
- 確かにキリスト教は「民族」の帰属には頓着しないが、その代わりに「信仰」の有無によって人間間を分断し、救われる信者と滅びる非信者という新しい二元論的人間間差別を生み出した