リベラリズムの終わり その限界と未来(萱野稔人)
書籍情報
- 著者:萱野稔人(著)
- 発行日:2019-11-28
- ISBN:9784344985759
- URL:https://www.gentosha.co.jp/book/b12748.html
書籍目次
- はじめに
- 第一章 私たちはリベラリズムをどこまで徹底できるのか? ――古典的リベラリズムの限界について
- 同性婚を認めた判決が引き起こした小さな波紋
- 一夫多妻制は違法なのか?
- 個人の自由とリベラリズム
- 本人たちの自由な意思にもとづく結婚ならリベラリズムは反対できない
- パターナリズムに反対するリベラリズム
- リベラル派はダブル・スタンダードを回避できるか?
- 自由をじゃましないことと権利を認めることの違い
- なぜ「自由をじゃましない」だけでは不十分なのか?
- リベラリズムの原理に反する司法判断
- 重婚による詐欺を防ぐためという理由は正当か?
- 女性差別だから認めない、という論理はなりたつか?
- 一夫多妻婚を認めることは必然的に女性差別になるのか?
- ご都合主義にどこまで自覚的でいられるか?
- リベラリズムの限界とは?
- 一夫多妻婚の事例だけではない、リベラリズムの限界
- 近親婚での性的虐待は近親婚「のみ」を禁止する理由になるか?
- 先天異常のリスクが高くなるという理由について
- リベラル派にとってさえリベラリズムには限界がある
- なぜ優生思想が思わずでてきてしまうのか?
- インセンスト・タブーとは何か?
- リベラリズムが浸透した現代においてリベラル派への批判が強まるのはなぜか?
- 第二章 リベラリズムはなぜ「弱者救済」でつまずいてしまうのか? ――現代リベラリズムの限界について
- 一 リベラル派への批判の高まりは社会の右傾化のせいなのか?
- 問いの立て方そのものを見直さなくてはならない
- 「右傾化」のもとにある問題意識
- 生活保護の不正受給に対する反応からみえるもの
- 排外主義の手前にある問題意識とは何か
- 財源が足りないという確個たる現実
- 財源不足による現場のひずみ
- 数字があらわす「日本人に受給されない人がいるのに・・・」のリアリティ
- 人道上の措置としての生活保護の給付
- なぜ生活保護バッシングはなされるのか
- 生活保護バッシングの理由を見誤るリベラル派
- 先鋭化する「パイをどう分配すべきか」という問い
- 「パイの縮小」とは何か
- 「借金するぐらいならムダを削れ」はどこまで可能なのか
- たちはだかる高齢者という壁
- パイの縮小と少子高齢化
- 根底にある危機意識
- 「右傾化」という表現はどこまで妥当なのか?
- 功利主義とは何か
- いたるところで実践されている功利主義
- 功利主義は全体主義に帰結するか?
- 現代におけるリベラリズムと功利主義の対立
- 民主党政権の失墜からみえるリベラリズムの限界
- なぜ民主党はパイの縮小の時代に政権を獲得できたのか?
- 団塊の世代の政治学
- 二 リベラリズムは「パイの分配」をどこまで正当化できるのか?
- ロールズ「正義論」の二つの原理
- 「マキシミン・ルール」とは何か
- 「正義にかなった貯蓄原理」とは何か
- リベラリズムの限界に自覚的だったロールズ
- なぜリベラリズムは功利主義に攻め込まれてしまうのか?
- 見直されなくてはならないリベラリズムの通説的理解
- 耳あたりのいい主張だけをする、というリベラル派の欺瞞
- 「カネのなる木」はどこかにあるか?
- リベラル派におけるポピュリズム
- 正義の実現にはコストがかかる
- なぜ現代のリベラリズムはパイの分配を手厚くすべきだと考えるのか
- ロールズの「無知のヴェール」について
- 「マキシミン・ルール」に対する疑問
- パイの分配はどこまでリベラリズムによって正当化できるのか
- リベラリズムとリバタリアニズム
- 「勤労収入への課税は、強制労働と変わりがない」
- 自由の尊重を徹底するパイと分配の否定にいきつく
- ロールズ「共通資産」とは何か
- リベラリズムとは関係ない「共通資産」の概念
- 功利主義によって所得再分配は正当化されている
- 補論:パイの分配と移民・難民について
- 一 リベラル派への批判の高まりは社会の右傾化のせいなのか?
- おわりに
第一章 私たちはリベラリズムをどこまで徹底できるのか? ――古典的リベラリズムの限界について
同性婚を認めた判決が引き起こした小さな波紋
一夫多妻制は違法なのか?
個人の自由とリベラリズム
本人たちの自由な意思にもとづく結婚ならリベラリズムは反対できない
パターナリズムに反対するリベラリズム
リベラル派はダブル・スタンダードを回避できるか?
自由をじゃましないことと権利を認めることの違い
なぜ「自由をじゃましない」だけでは不十分なのか?
リベラリズムの原理に反する司法判断
重婚による詐欺を防ぐためという理由は正当か?
女性差別だから認めない、という論理はなりたつか?
一夫多妻婚を認めることは必然的に女性差別になるのか?
ご都合主義にどこまで自覚的でいられるか?
リベラリズムの限界とは?
一夫多妻婚の事例だけではない、リベラリズムの限界
近親婚での性的虐待は近親婚「のみ」を禁止する理由になるか?
先天異常のリスクが高くなるという理由について
リベラル派にとってさえリベラリズムには限界がある
なぜ優生思想が思わずでてきてしまうのか?
インセンスト・タブーとは何か?
リベラリズムが浸透した現代においてリベラル派への批判が強まるのはなぜか?
第二章 - 一 リベラル派への批判の高まりは社会の右傾化のせいなのか?
問いの立て方そのものを見直さなくてはならない
- 「リベラル派への批判が増えているのは人々が右傾化した」理論:
- リベラル派が批判に晒された時、人々が右傾化したのでリベラル派が批判されるという解釈
- 右傾化の兆候:
- ヨーロッパでは極右政党が躍進
- アメリカではトランプ大統領が誕生
- 日本ではネトウヨがインターネットで大量発生
- 本当に「右傾化」のせいなのか:
- 「右傾化のせい」という解釈の背景には「リベラル派こそが正しく、批判する人間がどこかおかしい」という暗黙の前提がある
- 「人々が右傾化という誤った方向に向かっているから、本来正しいリベラル派が批判される」という認知が前提になる
- [MEMO]
- リベラリズムは宗教みたいなところがあるので、「リベラリズム=絶対善」という図式が刷り込まれた人間は多い
- このような認知のもとではリベラル派には自らをふりかえる余地が生まれない
- 真に考えるべきこと:
- リベラル派への批判の高まり」に右傾化が何らかの関係性があるとしても、それが「右傾化 == 原因」になるとは限らない
- リベラリズムが限界を晒した結果、人々が右傾化した(保守回帰)した可能性も十分ある
「右傾化」のもとにある問題意識
- 右傾化した人々へ対する典型的なレッテル貼り:
- 貧困や不安定な生活に苦しむ人達が自らの境遇の悪さを外国人のせいにして排外的になった
- コミュニケーション能力が低かったり、人間関係が上手くいかず、社会から疎外感を感じる人達が、自らのアイデンティティの拠り所としてナショナリズムを求めた
- [MEMO]
- 悲しいことにリベラル派や左翼界隈の人々の方がこうした特徴に当て嵌まる人物が多い(目立つ)のは皮肉な話である
- こうした解釈は「不幸な境遇から誤った考えに染まってしまった人達」というレッテルを貼っているに過ぎない
- 「リベラルこそ正しく、右傾化している人々は間違っている」という確証バイアスにハマっている
- 右傾化の理由を「不幸な境遇」に求める心理:
- リベラル批判に正面から向き合わない為の防衛機制
- 右傾化している人々の考えを「取るに足らないもの」と矮小化する為の詭弁
- 「不幸な境遇から誤った考えに染まってしまった人達」と決めつけてしまえば、彼らの中ではそれらの主張を聞く必要がなくなる
- 右傾化している人々の実相:
- リベラル派の思い描くステレオタイプに反して、右傾化している人々は普通に収入があったり、社会的地位を確立している人が多い
- 貧困層や不安定な生活を送る者、社会から孤立している層はメインの層ではない
- これらはネトウヨに対する多くの調査から判明している
- [MEMO]
- とはいえ、ひきこもり無職ネトウヨみたいな存在が全くいないかと言えばそうではない
- それはリベラル派も同じことだろう