ただしさに殺されないために 声なき者への社会論(御田寺圭)
書籍情報
- 著者:御田寺圭(著)
- 発行日:2022-05-20
- ISBN:9784479393870
- URL:https://www.daiwashobo.co.jp/book/b601745.html
書籍目次
- 序章「私はごく普通の白人男性で、現在28歳だ」
- 第1章 ただしい世界
- 1 文明の衝突
- われわれは、それでも風刺画をやめることはない
- 西欧文明は敗れる。テロのせいではなく、自らの思想によって
- 「多様性・多文化共生」という名の片務的責務
- 表現の自由と人権思想の対立
- 極右を支持する同性愛者
- 「前提を共有しない者たち」との戦い
- 2 アルティメット・フェアネス
- ウイルスが燻し出す対立構造
- 平穏な社会は永続的な勝者をつくる
- 究極の公平を求めて反旗を翻す
- 3 人権のミサイル
- 東欧からの贈り物
- かつては「人権」によってミサイルが放たれた
- 迫りくる「相対化」の時代
- 4 両面性テストの時代
- コロナ対策に成功したイスラエル
- 足かせとなった人権思想
- 反移民国家ハンガリーの「不都合な勝利」
- 民主主義国家の光と影
- 5 共鳴するラディカリズム
- 連鎖していく過激思想
- 「生きづらさ」の物語化
- 責任の外部化
- 物語と人との共鳴から、人と人との共鳴へ
- 物語の復活を願う人びと
- 「多様性」の反動
- 6 リベラリズムの奇形的進化
- 不寛容なリベラル?
- 共感性という風穴
- 「共感できない者」にも与えられるリベラルな恩恵
- 道徳的優位性 ――人情=人権=正義
- 傾斜配分の正当化
- 徳の賊
- 1 文明の衝突
- 第2章 差別と生きる私たち
- 1 キャンセル・カルチャー
- SNSで台頭する人治主義
- 自由の制限にはあたらない。なぜなら......
- 過去の自分がいまの自分を刺す
- 伝播する疫病
- 2 NIMBY
- 彷徨える社会コストの集積地
- 高級住宅街に「治安を乱す存在」はいらない
- 平和な国の最後のリスクは人間である
- 「被害者」ポジションをめぐるパワーゲーム
- 3 排除アート
- 路上生活者を追い出すための作品
- 「排除」のポジティブな言い換え
- きれいな街が隠蔽するもの
- ただしく拒絶するやさしい言葉
- 4 植松聖の置き土産
- 社会にとって役立つ存在/役立たない存在
- 「植松理論」とは何か
- 反論の脆弱性
- 私たちの社会にはマイルドな「植松理論」が存在する
- 植松の問いと対峙する日
- 5 輝く星の物語
- 共感と称賛があふれるストーリー
- 私たちに赦しを与えてくれるから
- 美しい物語が持つ影の表情
- 発達障害者の親たちに突き付けられる責任
- 「ふつう」を擬態するように求める社会
- 「ありのまま」が受容される人と、そうでない人
- 6 闘争と融和
- 「冷淡」な駅員かクレーマーか
- 危ういバランスの上で成立した「川崎バス闘争」
- 差別ではなく貧しさによって
- 強者はどこに消えた?
- 1 キャンセル・カルチャー
- 第3章 自由と道徳の神話
- 1 ルッキズム
- 見た目で判断されない社会へ
- 奇妙な違和感 ――加速するルッキズム?
- ルッキズム反対論は美しい人のためにある
- ルッキズム批判の果てにあったもの
- 2 マッチングアプリに絶望する男
- 「すべての女がサイコパスに見える。もうだれも信じられない」
- 彼の見た風景
- 動物化する人間関係
- 女性だけが解放された
- 去勢された男たち
- さらに理性的になり、ただしくなった男たちは、去っていった
- 3 健やかで不自由な世界
- 牛肉は地球環境の「敵」だ
- 嫌われていたヴィーガニズム
- 健康である義務 ――パンデミックで変わる倫理
- 「個人の自由」の喪失
- 4 自由のない国
- 一国二制度の終焉
- 「表現の自由」が存在しない国
- 「民主主義的プロセス」の省略
- ファシズムを歓迎するリベラリストたち
- 5 置き去り死
- トイレで生まれ、アパートで消える命
- だれにも煩わされない社会を私たちは望んだ
- 弱者にのみ降りかかる自由の代償
- 「迷惑人間を撃退!」
- 彼女もまた「迷惑で不快な他者」だった
- 6 死神のルーレット
- 社会に復讐する者
- 弱者の「弱者」たるゆえん
- 誰もが見て見ぬふりをする
- 助けようとする人にさらにリスクを引きわたす
- 1 ルッキズム
- 第4章 平等なき社会
- 1 親ガチャ
- 「親ガチャ」という言葉が人びとを捉えた
- バブルを知らない若者たち
- 人間社会の「ネタバレ」はもう済んだ
- 努力信仰が死ぬとき
- 2 子育て支援をめぐる分断
- かつて社会が子どもを育てた時代があった
- パンデミック後の景気対策として
- 「子どもたちのために」の建前に寄せられる不満の声
- 恋愛・結婚が贅沢になる時代
- 国家の存亡の危機
- 3 能力主義
- 大学は、あらゆる差別に反対する?
- どうしても消せない差別
- 「能力差別」の合理性
- ルッキズムを許さない高偏差値の学生たち
- 女性を競争社会に投入する
- オリンピックが明らかにした知的エリートたちの想像力の欠如
- 交わることのない大衆とエリート
- 4 低賃金カルテル
- 厚遇される役に立たない仕事
- エッセンシャル・ワーカーには感謝が寄せられるが......
- だれもやりたくない地味できつい仕事をあえてする人なのだから
- 低賃金の原因は私たちの偏見にある
- 5 キラキラと輝く私の人生のために
- 「欧米ではメジャーでカジュアルな卵子凍結」
- 先進国のバリキャリ女性のために働く途上国の女性メイドたち
- 資本主義の忠実なしもべ
- 人権思想を守るために、不平等な人権をつくる
- 6 平等の克服
- 暴力と破壊が、社会を均す
- 平和な世界によって失われたもの
- パンデミックは持たざる者たちの希望になりえるか
- テクノロジーが「恐怖」を克服した
- 1 親ガチャ
- 第5章 不可視化された献身
- 1 子ども部屋おじさん
- 増え続ける子ども部屋で暮らす中年男性
- 人間関係を得る資格とは
- 快適な社会の透明人間
- 他者を求めることは「加害」なのか
- 「社会問題」と呼ぶ責任
- 2 暗い祈り
- 新たな就職氷河期の予兆
- 「公平に」見捨てるべきだという声
- すべての人が、同じ方向に祈っているわけではない
- 社会の低迷と閉塞が救いになった人びと
- みんな当事者の今が「透明化された」人の痛みを知る最後の機会になる
- 3 きれいなつながり
- 震災によって、人びとは再び結ばれた
- つながり過ぎたその先で
- あなたは、つながるに値する?
- 「つながり」が格差を拡大する
- 人間関係という資産 ――分けられない宝
- 4 搾取者であり、慈善家であり
- 聖人君子はいない
- ある金融家の搾取と善行
- 天才児のための財団 ――貧しき者から富める者への再分配
- スポットライトの影にいる者たち
- 5 共同体のジレンマ
- 「オンライン・サロン」は悪なのか
- 無縁化/無援化社会か、搾取的な包摂か
- 潔癖さを求める現代の呪い
- それでも私たちは個人主義を選ぶ
- 6 疎外者たちの行方
- アウトサイダーの終焉
- 「ヤクザ」が消えれば、やくざ者はいなくなるのか?
- 疎外の果てに現れた者たち
- お前はどうするつもりや?
- 1 子ども部屋おじさん
- 終章 物語の否定
序章「私はごく普通の白人男性で、現在28歳だ」
- [WIP]
第1章 - 1 文明の衝突
われわれは、それでも風刺画をやめることはない
- 今日の我々が直面している「文明の衝突」:
- 一つの国の中に別の文明が入り込み、密接な距離感の下に同居している
- 結果、それぞれに相容れない価値観や規範体系が衝突を起こしている
- 文明の衝突:
- 近年のリベラリズムによって、多様性・多文化共生の名の下に自らの国に外国人を招き入れた結果、彼らとの価値観の相違・利害対立が発生
西欧文明は敗れる。テロのせいではなく、自らの思想によって
- 西欧文明は自らの選択によって滅びる:
- 西欧文明はリベラルであるが故に人口の再生産ができず、静かに増えるイスラム教徒に飲み込まれる
- 人権を守った結果、国が滅ぶ皮肉
「多様性・多文化共生」という名の片務的責務
表現の自由と人権思想の対立
極右を支持する同性愛者
「前提を共有しない者たち」との戦い
第1章 - 2 アルティメット・フェアネス
ウイルスが燻し出す対立構造
- コロナ禍で見られた若者の奇妙な行動:
- コロナ流行で外出禁止令が出ていても、それを無視して街へ繰り出した
- むしろ、積極的に感染拡大に加担するかのような行動もあった
- 奇行の理由:
- コロナは老人に対しては死亡リスクが高く、若者は比較的重症化しにくい
- コロナによる外出禁止令は老人を守る為のルールであると解釈された
- 若者は自分自身を経済的にも制度的にも弱者であると認識している
- 実際、移民と仕事の取り合いになっている若者は貧乏で将来に明るい展望が見えない
- にも関わらず、十分な資産を溜め込んだ老人を守る為に自分達の行動が制限されるのは納得がいかないと感じた(ただし、意識的にそう言語化していたかは不明)
- [MEMO]
- 実際にそう表明した若者がいたというわけでもなさそうだし、ここは筆者の解釈か?
平穏な社会は永続的な勝者をつくる
- 富裕層にとっての最大のリスク:
- 理不尽な理由によって命を落とすこと
- コロナ流行下では、街ですれ違う見知らぬ人の咳やクシャミで死ぬかもしれない
- 富裕層の心理:
- 富を持ったまま死ぬことはできない
- したがって、シンプルに死にたくない
- 自分はその辺の人間よりずっと重要な人間である
- 多くのもの(資産)を持っているが故に失うには惜しい命である
- だからこそ自分の命を守る為のワクチンの完成を待ち望む
- 貧乏人の目に映るもの:
- 全てを自己責任と切り捨ててきた嫌味な金持ちが、ウイルスという一切「差別」しない脅威に慌てている
- さも昔から仲間だったかのように「みんなでこの危機を乗り越えよう」などと聞こえのよい事を言う欺瞞
- 貧乏人の怒り:
- 自らの命の価値を大きく見積もる富裕層や支配階層の為に既存の秩序維持に協力する義理はない
- 自分の都合のよい時だけ「自己責任」を取り下げようとしても関係ない
究極の公平を求めて反旗を翻す
- 何故富の再分配が重要なのか:
- それが「正義」だからという意見は部分的には妥当だが、実際には正しくない
- 本当の理由は、再分配を行わなければ社会秩序の維持に協力しない人々を生み出してしまうから
- 社会を維持するモラルは、そのモラルを守り社会に参加する人々に一定のベネフィットが約束されている必要がある
- そうでないと、モラルを無視し、社会を破壊する方がインセンティブがあると気付く人々を増やしてしまう
- 要するにモラルハザード
- 疫病の流行は富裕層や支配階層に再分配を促す理論:
- ウォルター・シャイデルの著書「暴力と不平等の人類史」で述べられた
- 疫病が流行することで、既存社会が不安定になると己の優位性を保証する社会構造が破壊されてしまう為、これを防ぐ為に富裕層や支配階層が富の再分配に積極的になる
- コロナ禍で起きたのもこれと同じだった
- パンデミックによって露見したもの:
- 「全ての人命を守る戦い」という建前
- その建前の下でひた隠しにされてきた「格差」がとうとう既存社会を破壊しようと牙を向き、それを富裕層が必死に抑え込もうとしている構図
- パンデミックによって生じた「問い」:
- 世界の富裕層の上位2100人ほどが下位46億人より多くの資産を独占する現実
- そのような歪な資本主義を前提とした人間社会の秩序を下位側の人々の献身によって支え続けることに意味があるのか?
- パンデミックによるダメージは経済格差によって異なる:
- 実体経済は大きな痛手を受け、資産を持たない一般市民の生活は深刻な打撃を受けた
- 一方、株や不動産などの金融資産はすぐに回復した
- ワクチンや医薬品関係の投資によりむしろ資産を増やした富裕層もいる
- 次の有事:
- 富裕層が富の再分配を怠れば、次の有事ではより明確に社会秩序の維持に非協力的な人間が増える
- 貧乏人には失うものがないので、「究極の公平」を求めて社会に反旗を翻すことになる
- [MEMO]
- マルクス主義が大流行していた時代もこんな感じだったのだろうか?
第1章 - 3 人権のミサイル
東欧からの贈り物
- 敵国に難民を送り込む戦略:
- ベラルーシのルカシェンコ大統領が実施している(とされる)敵国の国家リソースに対する攻撃
- 自国の難民に多少の資金や物資を持たせて政治的に対立する国々(西欧諸国)へ送り込む
- 西欧諸国は人権思想を備えた人道的国家なので難民を保護する必要性が生じ、保護した難民によってそれらの国の社会的リソースに対する継続的なダメージが発生する
- 西欧諸国は人権を神聖なものと捉えているので、難民を無視したり追い返したりできず、防御不可能の攻撃になる
- 西欧諸国の苦境:
- 難民の流入を阻止する為に軍事力を投入したり、壁を建設するなどの行為は「差別主義者」「排外主義者」のレッテルを貼られ、政治指導者ですら失脚する
- 同じような事をトランプ大統領がやろうとした際(メキシコとの国境に壁を建設しようとした)、トランプ大統領を批判した手前、難民を排斥することは自己矛盾に陥ってしまう
かつては「人権」によってミサイルが放たれた
- 覇権拡大の口実としての「人権」:
- 2010年代までの世界では欧米先進国が覇権を拡大する口実として「人権」を振りかざしてきた
- 「人権」を尊重しない国や指導者を「悪」認定することで経済制裁や武力行使が正当化された
- 欧米の支配や覇権の口実として「人権」や「民主主義」が利用されてきた
- 意趣返しされた「人権」:
- 2020年代に入り、「人権」を逆に利用できる事が発見された
- 「人権」を神聖視するが故に「人権」に行動を制約されるというセキュリティホールがあった
- [MEMO]
- 実際には「人道」や「条約」を戦略的な武器として使う事例は数多くあった
- 別に近年発見された手法ではないと思う
- 盲目的はリベラル信仰:
- 欧米諸国ではリベラル思想こそが目指すべき崇高な社会の在り方であるという考え方に信仰が集まっている
- しかし、その実現に必要なリソース産出や配分の問題からは目が背けられてきた
- 「人権」信仰の暗い側面:
- 「人権」を絶対視することで難民を見捨てるという選択肢が取れなくなった
- 結果、無尽蔵に流入する移民や難民を拒否できず受け入れることになった
- 結果、社会福祉コストの増加、文化的摩擦、雇用難、治安の悪化、教育水準の低下、食料供給の不安定化、テロの危険性etcが発生した
迫りくる「相対化」の時代
- 2020年代は相対化の時代:
- これまでの時代においては絶対的な正義や自明の真実とされてきた事柄が相対化されていく
- 絶対的な正義だった「人権」が難民の押し付けによって敵対国の社会リソースを食い潰す戦略兵器にされる
- 自らの信仰によって社会がガタガタになっていく
- 多文化共生による内側からの崩壊:
- 人権思想によって、中東からやってきたイスラム系移民・難民への同化政策を放棄せざるを得なくなった(信仰の自由)
- キリスト教的な道徳観をベースにした社会規範とコンフリクトしてもそれを制限することができなくなった
- 人権思想はローカルな道徳律に格下げされる:
- キリスト教的な道徳観念に基づく法体系を別の文化圏の人々に押し付けるのは人権侵害になるのでNG
- 結果として、キリスト教的な道徳観念に基づく人権思想は西欧文化圏のローカルな道徳観念へと格下げされる
第1章 - 4 両面性テストの時代
コロナ対策に成功したイスラエル
- イスラエルはコロナの感染拡大を効率的に封じ込めた
- イスラエルは人権を制限することでコロナの封じ込めに成功した
- 一方、人権や民主主義的手続きをやろうとした国は対策が間に合わず、深刻なダメージを受けた
足かせとなった人権思想
- リベラリズムは平時には美徳
- 一方、非常事態においては足かせになってしまう
- イスラエルの例や元々人権を重視していない中国はパンデミックという非常事態には有効に機能した
- リベラルや自由主義はむしろ脆弱性を晒した
反移民国家ハンガリーの「不都合な勝利」
- ハンガリーの少子化対策:
- ハンガリーはGDPの4.7%に及ぶ巨額の社会投資の結果、人口減少に歯止めをかけた
- ハンガリーの少子化対策の内容:
- 4人目の子供を産むと定年まで所得税ゼロ
- 3年間の有給休暇
- 第3子出産で学生ローンは全額免除
- ハンガリーはフェミニストの理想の国か?:
- まさにフェミニストの理想の国といった様相のハンガリー
- しかし、首相のオルバンはフェミニストではない
- むしろ、極右の独裁者に近い
- ハンガリーの少子化対策はフェミニズム的な女性優遇政策ではなく、「純粋なハンガリー人」を多く作り出す為の愛国的・民族主義的・富国強兵のニュアンスが強い
- リベラリストやフェミニストが理想とした社会をそれらの人々が蔑むナショナリスト・右派・独裁者という属性の人間が達成したことは皮肉しか言いようがない
民主主義国家の光と影
- 現代社会で絶対善とされるリベラル思想
- そのリベラル思想がパンデミックによって限界を晒した
- 全体主義的な監視社会がパンデミック下での感染症封じ込めでは有効に機能した
- パンデミックによってこれまで絶対善とされてきたものに疑問符が付けられた
- 一方、これまで絶対的な悪とされてきた思想にも優れた点ががあると再評価されることになった
第1章 - 5 共鳴するラディカリズム
連鎖していく過激思想
- 過激な思想や運動には共鳴性がある
- 反ワクチン、極端な脱原発運動、フェミニズム、ヴィーガニズムなどなど
- ラディカルで極端なリベラル/レフト系思想
過激なリベラル/レフトの共通点
- 主観的な「生きづらさ」「被害者意識」「抑圧経験」を強く抱え心身ともに疲弊している
「生きづらさ」の物語化
- 人間社会には様々な複雑性があるが、疲弊している人間にはその複雑さを適切に解釈する認知リソースがない
- そこにシンプルなストーリーを与えられると、与えられたストーリーに身を委ねてしまう
責任の外部化
- 心身ともに疲弊している人間に「シンプル」で「責任を外部化」できるストーリーを与えると、それに飛び付き盲信してしまう
- 例えば、ラディカル・フェミニズムでは「全ては男のせい」という「シンプル」で「責任」は全て男にあるというストーリーが与えられる
- [NOTE]
- 早まった一般化の誤謬
- 認知域の問題でもある
- 「○○を倒せば世界はもっと良くなる」というシンプルなストーリーと「あなたの生きづらさは○○のせい」という責任の外部化はラディカルな思想・活動に共通して見られる特徴
- 結果的に似たような活動を掛け持ちするようになる
物語と人との共鳴から、人と人との共鳴へ
- ラディカリズムに集まる人々は似た者同士なので、連帯感を感じやすい
- 結果、個人的な私憤があたかも公憤かのように拡大する
- 「個人的なことは政治的なこと」というスローガンにつながる
- 「生きづらさを超克する為に努力するのではなく、自分の周囲や社会が変わって、自分を辛くならないように配慮して欲しい」というカスみたいな甘えも許容される
- 端的に言って「ワガママ」でしかなくとも、数が集まれば無視できなくなる
- これが実際に他人や社会に影響を及ぼすことができてしまうと、「世直し」の快感に脳が灼かれてしまう
- 傍から見れば尖鋭化した集団、極性化した集団でしかないにも関わらず、当人達は自身を客観視できる理性は失われてしまう
- [NOTE]
- 部落解放運動が部落利権に変貌していったのと同じである
物語の復活を願う人びと
- 「多様性」概念によって、個人が自由に生きることが認められた世界
- で、あるにも関わらず、未だ「生きづらさ」を抱えてしまう人々が存在する
- 誰もが肯定される世界だからこそ、誰かを断固として否定する口実が求められた
- ラディカリズムはその口実を提供する
「多様性」の反動
- 世界各所で台頭するラディカルな思想運動は「多様性」の反動
- 「誰もが正しい」世界に人間は耐えることができない
- トランプ主義、極右政党の台頭、ヴィーガニズム、アンティファ、ラディカル・フェミニズム、反ワクチン、Qアノン
- これらはベクトルが違うだけで本質的には同類
第1章 - 6 リベラリズムの奇形的進化
不寛容なリベラル?
- 今日の「リベラル」を標榜する人々は、原理原則的な自由の重要性を謳う一方、自分にとって都合の悪い自由については極めて否定的・抑圧的である
- 基本的人権を擁護する素振りを見せながら、己にとって望ましくない・不快感を覚える他者の権利は矮小化・無化したがる
- 多様性を尊びながら、極めて画一的な価値体系への恭順を求める
- 寛容性を説きながら、異なる価値観や政治観に対しては排除を正当化したがる
- 社会的包摂を訴えながら、自分のイデオロギーと対立する者に対しては物理的・精神的な攻撃を仕掛けて社会的な追放を企てる
- 昨今の「リベラル」は「リベラル」とは名ばかりの矛盾に満ちた排他的なファシストに成り果てている
- [MEMO]
- 「リベラル」に多様性が殆ど存在せず、画一的な教義めいた価値観への服従や意見の対立する者へ対する強い攻撃性などは全体主義の空気を感じてしまう
共感性という風穴
- リベラリズムの根幹:
- 「普遍性」「平等性」
- どのような人物・状況であっても与えられる人権は平等であるとする価値観
- リベラリズムと共感性:
- リベラリズムは「共感性」によってリベラルな価値観を世界中に拡散させてきた
- 「共感性」こそがリベラリズムの綻びの始まり:
- リベラリズムを支持する「共感性」の高い人々は、自分が認知・心情的に共感できるものに対しては高い共感を示す
- しかし、全ての事柄・人物に対して等しく共感するわけではない
- 自分が共感できるものに対しては強く共感するというだけの話だった
- 自分が共感できないものに対しては著しく攻撃的で排他的という人間本来の姿を見せる
- 自分にとって共感できるかどうかが社会的善悪の判断につながっている
- 共感できるものは正しい、共感できないものは間違っているという幼稚な判断に繋がりやすい
「共感できない者」にも与えられるリベラルな恩恵
- 共感性の高い人は「普遍性」「平等性」に耐える事ができない:
- どのような人・状況でも、与えられる自由・権利・尊厳が平等であることがリベラリズムの原則
- 自分が認知的にも心情的にも全く共感できない存在であろうが、自分が共感した存在と同等の権利が付与される
- 全く共感できない存在にも権利が付与される光景は不快である
- リベラリズムはそのような不快な場面を継続的に見続ける忍耐を要求する
- しかし、共感性の高い人々はそのような忍耐に耐えることができない
- 「自分が可哀想だと思う方を優先して助けるべき」「あんなに悪辣で邪悪な存在にもフルスペックの人権があるのはおかしい」的な
- 更新されたリベラリズム:
- 共感性の高い人々からの「公正さ」を求める声に押されてリベラリズムの在り方そのものが更新された
- 人々からより大きな共感(同情)を集める存在には、より上質な「平等」「自由」「権利」「尊厳」が与えられることが正当化された
- 「権力勾配」「歴史的非対称性」「アファーマティブ・アクション」などと呼ばれる概念
- 結果的に、共感される存在は優遇され、共感されない存在は与えられる人権の水準が低下した
- リベラリズムの原則は崩壊した
道徳的優位性 ――人情=人権=正義
- 道徳的優位性という新概念:
- もっともらしい理屈を用意したところで、個人的な好悪感情を社会正義と接続するのはリベラリズムの原則から乖離する
- そのような批判や己自身で感じる違和感は回避できない
- 「自由」や「平等」を謳いながら、対象によって付与する「権利」や「尊厳」を選別し、実質的に差別しているという認知的不協和が生じる
- この認知的不協和を解消する概念として提唱されたのが「道徳的優位性」
- 道徳的優位性:
- 自分達が積極的に肩入れしているのは、その対象がそうされるに値する道徳的に「善」なる存在であるからという理論武装
- 共感や同情による依怙贔屓などではなく、その対象がそれだけ「善」だから優遇される
- 逆に優遇されない存在は、その対象はそれだけ道徳的に「悪」であるから当然の処遇と解釈される
- [MEMO]
- 中世の異端審問並のゴリ押し
- 共感性に歪められたリベラリズム:
- 道徳的に優位であると感じたなら、その他を差し置いても優遇される
- 道徳的に劣っていると感じたなら、その他と平等に扱う必要はない
- 平等であるはずの権利が感情的な裁定で不平等に分配されるようになった
- リベラルを標榜しながら、共感できない存在に対しては人権の優位性を下げ、積極的に「悪」認定し、攻撃性や排他性を剥き出しにするリベラリズムが誕生した
- [MEMO]
- まさに中世の異端審問・魔女狩り
傾斜配分の正当化
- 傾斜配分:
- 全ての人は平等であるべきである
- しかし、共感や同情が集まる対象であれば、それらにリソースが集中することが平等になる
- という思想
- 現代社会のリベラル:
- 傾斜配分が自然に受け入れられている
- 最早リベラリストの間では暗黙の前提
- 「平等」な傾斜配分のメリット:
- 大衆の支持や社会的合意を集めやすい
- 大衆が思わず共感してしまう対象は傾斜配分を正当化しやすい
- 「歴史のただしい側」:
- リベラルは「歴史のただしい側」というポジションが大好き
- 自分達や世間が素直に「ただしい」と思える存在・対象にだけ「人権」を優先的に与えることへの躊躇いが消失した
- 本来のリベラリズムとは真っ向から逆を行くスタイル
- しかし、人々が「共感」できる対象へ施しを与えることは支持され、称賛される
- 結果的に多数決の原理で「助ける対象を恣意的に選択する」スタイルが今日的なリベラルのスタイルになった
徳の賊
- リベラリズムの改変:
- 本来リベラリズムは融通が利かない思想
- 自分が心情的に受け入れ難い存在に対しても平等に自由や権利を与えなければならない(MUST)なもの
- しかし、「対象を恣意的に選択したい」という欲求・要望は自然発生するもので、それが多数派になればリベラリズムの原理とて改変されてしまう
- そもそも、その手の人々はリベラリズムの原理原則に則って実践したいわけではない
- リベラリストと自己顕示欲:
- 共感的な人々はリベラリズムの精神を原理主義的に実践したいわけではない
- リベラリズムのポジティブなイメージを抽出して自分達の「ただしさ」「清らかさ」「慈悲深さ」etcをアピールする道具にしたいだけ
- 共感される対象に「自由」や「権利」を施す姿は自分達の慈悲深さや社会的正義をアピールし気持ちよくなれる
- 「ただしさ」に包摂されなかった人々:
- 自称リベラリストは共感されない属性や自分達が不快に思う属性に対しては人権を認めず、むしろ積極的に糾弾し、「悪」のレッテルを貼る
- 自称リベラリストの思想や気分で「悪」認定された人々が自称リベラリストの党派性を受け入れないのは当然である
- その鬱屈や不満がトランプ大統領の登場につながっていく
第2章 - 1 キャンセル・カルチャー
SNSで台頭する人治主義
自由の制限にはあたらない。なぜなら......
過去の自分がいまの自分を刺す
伝播する疫病
第2章 - 2 NIMBY
彷徨える社会コストの集積地
- NIMBYとは:
- Not In My BackYard(私の裏庭には作らないで)
- 原子力発電所やゴミ焼却施設など必要性はあるが、自分の居住地の近くに作られるのは困るという考えを表す言葉(大辞林)
- 地域エゴとも
- NIMBYの代表例:
- 軍事施設、発電所、ゴミ処理場、刑務所、下水処理施設、老人介護施設、葬儀場など
高級住宅街に「治安を乱す存在」はいらない
- 港区子供家庭総合支援センターの事例:
- 港区に港区子供家庭総合支援センターが開設される事が決まった時、地域住民から反対運動が起きた件
- 反対住民からは片親や非行青少年に対する差別的な言動も多々あった
- そもそも港区にはこれまで児童相談所が無かったので、この施設を開設する必要性は十分にあった
- [MEMO]
- 調べたところ、本当に無かった模様
- 土地のブランドイメージを損ねるという考え方は地元不動産会社の思惑を多分に含んでいた
- 一方で、地元富裕層の本音でもある
- 川崎市の障害者施設の事例:
- 神奈川県川崎市の高級住宅街に精神障害者用のグループホーム建設計画が立ち上がった際、地域住民から反対運動が起きた件
- 反対住民の言動:
- 「原子力発電所も安全と言われながら事故が起きた。精神障害者は本当に安全なのか」
- 「社会的地位の高い住民が多い地域に精神障害者は来ないでほしい」
- 発端は地元の開業医のブログ:
- 精神障害者のグループホームが建設されることを青天の霹靂と表現
- 精神障害者の犯罪率:
- 精神障害者による刑法犯の検挙数は健常者より大幅に少ない
- 「精神障害者は犯罪傾向があり、地域社会の治安や秩序を乱すものではないか」という懸念は統計的事実に反する偏見
- [MEMO]
- 検挙数という絶対数を比較すれば少なくなるのは当然なのでは?
- 問題は人口比の割合ではないか?
- 更に言えば、精神障害者は精神障害を理由に無罪判決が下されることが多く、処罰されない存在であるという認識が強いのも忌避感に拍車を掛けている
- 現実には精神病院に放り込まれて死ぬまで解放されないとも聞くが
- 警戒すべきは健常者理論:
- グループホームに入居できる精神障害者はせいぜい十数人程度である
- わずか十数人の精神障害者よりも、隣人の健常者の方が(統計的には)警戒するべき存在なのではないか?
- [MEMO]
- これは雑な理屈
- 高級住宅街に住まう隣人は収入も社会的地位もあるので犯罪行為に走るリスクが低い
- また、実際に犯罪を起こしたとしても十分な賠償を支払うだけの資産もある
- 一方、精神障害者は何もない
- したがって、犯罪行為への障壁が低く、犯罪リスクが相対的に高い
- また、資産が無いので賠償もできない可能性が高く、被害にあった場合泣き寝入りするしかない
- これらはリスク要素と見なす十分な理由になる
- [MEMO]
- 川崎の場合は健常者の外国人による犯罪に注意する必要があるので、そもそも隣人に対する警戒感は強いというのはある
平和な国の最後のリスクは人間である
- NIMBYが向けられる先の変化:
- これまでは施設や建築物など社会インフラに向けられることが多かった
- しかし、近年は「人」がターゲットになりつつある
- 日本は犯罪が少なく大規模戦争もなく、平和で安心で快適な暮らしが提供されているという国
- そのような国で最後に残ったリスクが「他人」
- 差別を正当化する心理:
- 前述のような意見はシンプルに差別である
- そのような差別心を表出したり正当化する理論武装が「被害者化」
- 「私達の安全・安心な暮らしが蔑ろにされている」という被害者しぐさが差別意識を正当化する
- 「私達は積極的に差別しているわけでない。国や自治体が守ってくれないので、仕方なく自力救済しているだけだ」という姿勢
「被害者」ポジションをめぐるパワーゲーム
- 被害者意識という発明:
- NIMBY的な態度から発生するコンフリクト:
- リベラル的な「多様性」「人格」「寛容」「包摂」といった概念
- 自分の生活圏から「ハイリスクな人々」を排除したいという欲求
- このコンフリクトを解消する理論武装が「被害者」というポジション
- NIMBY的な態度から発生するコンフリクト:
- 「ハイリスクな人々」を排除したい人々の考え方:
- 「私は基本的に全ての人々の権利を尊重するが、相手が私に危害をもたらす場合はその限りではない」
- 「何故ならそれは私の権利が尊重されていないことになるからだ」
- [MEMO]
- とはいえ、これは当然の権利ではないか?
- 過剰に振りかざすことは問題だが、基本的には間違った考え方ではないはず
第2章 - 3 排除アート
路上生活者を追い出すための作品
「排除」のポジティブな言い換え
きれいな街が隠蔽するもの
ただしく拒絶するやさしい言葉
第2章 - 4 植松聖の置き土産
社会にとって役立つ存在/役立たない存在
- 相模原事件:
- 2016年07月26日に神奈川県相模原市で発生した大量殺人事件
- 重度障害者19人が殺された
- 生産性へのこだわり:
- 重度障害者には生産性が無い
- その介助者である自分(植松)も価値が無い
- なので、障害者を殺し、社会の負担を軽減することで自分(植松)は社会に貢献する(した)
- 後述する植松理論の骨子
- 日本社会の宿痾:
- 日本社会はこの思想を真っ向から否定できない
「植松理論」とは何か
- 植松理論:
- 生産性の無い者は生かしておいても社会の役に立たない
- そんな役に立たない存在を積極的に生かす仕事をしている自分はもっと役に立たない人間である
- だから、「役立たず」を大量に殺処分した時、自分ははじめて世の中の役に立ったことになる
反論の脆弱性
- 植松理論への反論:
- 植松理論が明るみになった時、世間は激しい非難を行った
- 「例え、役立たずでも死ぬべき人間など一人もいない」
- 「人間の価値を生産性で測るべきではない」
- 「生産性は人間の尊厳を優越するものではない」
- 社会の反応:
- 「障害者にも健常者と同じ人権がある」と主張するキャンペーンが大量に発信された
- 「『植松理論』は我々の社会と根本的に相容れない」という反対声明が発信され多くの連帯が表明された
- 我々の社会の現実:
- 植松理論が「我々の社会に一片たりとも存在しない」「今後も存在しない」と断言することは難しい
- 植松理論に憤慨した人々でも自分の前に無能な健常者が現れると植松理論に近い論理を振りかざしてしまう
私たちの社会にはマイルドな「植松理論」が存在する
- 植松理論のミーム:
- 我々の社会では、仕事のできない人が社会的・経済的に疎外されても、それは(自己研鑽|努力)不足の結果であり、自己責任であると切り捨ててきた
- このような自己責任論を否定する人であっても無能を快く受け入れることはない
- 植松理論を否定しながら、「無能は私の仲間には必要ない」というダブルシンクをナチュラルに受容している
- 我々の社会の欺瞞性:
- 平時は他人を役に立つか否かで評価・選別しながら、植松のような存在が現れた時だけ、そのような思想を否定・批判する欺瞞
- 役に立つかどうかで選別・評価し、その結果、「無能」認定された人間が社会的に追放され、生活が破綻し、死に追いやられても自己責任と切り捨てる
- 植松は我々の社会に極普通に存在する思想をよりラディカル・直接的に実行したにすぎない
植松の問いと対峙する日
- 我々の本心:
- 私が付き合う人間は能力的にも人格的にも優れた人間がよい
- そうでない人間は「死ね」とまでは言わないが、私とは無関係の場所で、お互いに一生関わることなく過ごしていって欲しい
- これが我々の本心であり、大なり小なり皆そう思っている
- 選択の自由とその裏側にある拒絶:
- 付き合う人間を選ぶのは「自由」である
- しかし、「自由」に何かを選ぶ時、同時に「拒絶」が発生する
- 自由な選別の影には無自覚な拒絶がある
- 無自覚な拒絶の進む先:
- 自由な選別と無自覚な拒絶の延長線上には植松理論が待っている
- 植松理論の完成:
- 2020年03月、植松に死刑判決が下る
- 植松は上告せず死刑が確定
- 植松の思想は裁判所によって正式に「我々の社会」と相容れないものであることが認定された
- 死刑は「生きる価値がなく、死ぬべき存在」と認定する営為である
- これは植松の思想を否定しておきながら、植松自身に対しては「生きるに値せず」と断じたことになる
- 植松理論は植松自身の死刑によって完成に至った
- 我々の社会と植松理論に違いや倫理的な距離などは無い
第2章 - 5 輝く星の物語
共感と称賛があふれるストーリー
私たちに赦しを与えてくれるから
美しい物語が持つ影の表情
発達障害者の親たちに突き付けられる責任
「ふつう」を擬態するように求める社会
「ありのまま」が受容される人と、そうでない人
第2章 - 6 闘争と融和
「冷淡」な駅員かクレーマーか
- 伊是名夏子JR乗車拒否告発事件:
- 車椅子生活を送る身体障害者「伊是名夏子」がJRで車椅子を理由に乗車拒否されたという旨の告発を自身のブログで行う
- 告発への賛否:
- 障害者が企業へ平等な待遇を要求するという点で賛同する人は一定数いた
- 一方、その態度・やり方があまりにもクレーマー的であり、批判的な声も大きかった
- [MEMO]
- 実際、100kg近い車椅子 + 人体を駅員が素手で階段から下ろすよう介助を迫ったという話はシンプルに危険で度を超えた要求だったように思える
- そして、そのような危険な行為を自身の思想的主張の為に意図的に実行したのは悪質としか言いようがない
- 強硬な要求は逆効果の可能性:
- WIP
危ういバランスの上で成立した「川崎バス闘争」
- 川崎バス闘争:
- 昭和50年代に川崎市で車椅子生活者に対するバス乗車拒否に対する抗議活動
- 脳性麻痺者による団体「神奈川県青い芝の会」の会員が乗車拒否したバスの前で座り込みを行うなどの抗議活動を行った
- その後、事態はエスカレートし、同団体の会員がバスを襲撃して運転席を破壊、拡声器でアジテーションを行うなど暴力行為を含む過激な抗議活動に発展した
- これが契機となり、バスなど公共交通のバリアフリー対策などが進んだとされる
- 暴力的な抗議運動・社会活動の是非:
- 被差別民・被抑圧者が、その差別・抑圧を強いてくる社会に対して抵抗する時、暴力的な手段によって「存在感」や「交渉力」を得る事が必要な場面がある
- 穏当な主張は差別・抑圧を強いてくる社会には無視され、黙殺される
- 無視・黙殺できない、場合によっては直接的な脅威に成り得ると社会に認知されることが権利獲得の重要な戦略であるという事は人類の歴史上何度も証明されてきた事実
- [MEMO]
- 「目的は手段を肯定する」という状況は確かに存在する
- 暴力的な抗議活動・社会活動は最適解か:
- ラディカルな手段で「交渉力」を追求していくスタイルが、これからも唯一無二の正解・最適な戦略であり続けるかというとそうではない
- 力関係があまりにも大きければ、少々過激な抗議活動など踏み散らしてしまえることは中国などの全体主義国家の抑圧を見れば明らか
- 闘争しつつ融和する:
- 社会運動によって獲得した成果を持続させるには、一般市民の理解や支持が必要
- 社会に自分達の存在や主張を聞いてもらえるだけの交渉力を闘争によって維持しつつ、時代や一般市民の感覚に見合う落とし所を見出し融和するバランス感覚が要求される
- [MEMO]
- 「目的は手段を肯定する」という状況は存在するが、「常にそう」ではない
差別ではなく貧しさによって
- 健常者は単純な「強者」ではない:
- これまでは自明のように捉えられていた「既得権益者 = 強者」の構図が成立しない場面が増えてきている
- 社会で暮らす大多数の健常者は障害者から見ると「強者側」に見えるが、個々人のレベルでは政治的権力や道徳的優位性を持たない
- その意味では権利獲得闘争に勤しむ障害者の方が強者という構図が発生する
- 今日の世間一般の健常者は、往々にして何の権力も持っておらず、日々の暮らしをやりくりする事で精一杯の単なる生活者である
- しかし、「健常者」「一般人」という属性が付与されているが故に「己の強者性・特権に無自覚な強者」と見なされる
- 属性の強さを過大評価されながら、同時に弱さを過小評価されるという捻れた状況がある
- [MEMO]
- 闘争においては対立相手を悪辣で強大な敵とし、同情の余地の無い粉砕すべき対象と設定するのはプロパガンダの基本ではある
- しかし、そのプロパガンダ的手法がバレてしまっていては白けてしまうし、民衆からの支持も得られないのではないか
- 伊是名夏子が非難された理由:
- 車椅子の障害者という「道徳的優位性」に基づく政治的強者が、一般労働者に過ぎないJR職員に自身の要求を強硬に突き付けたことが、逆に「強者が弱者をいじめている」と解釈された
- 労働者として日々を暮らす一般人はパワハラを目にしたり、実際に自分が被害に遭うケースもある
- そういった場面を想像したとき、どちらが「強者」で、どちらに「共感」するかは自明であった
- したがって、伊是名夏子の方が権力を振りかざす強者と認定され、弱者に理不尽に要求を突き付けたものと解釈され、非難が殺到した
強者はどこに消えた?
- 多数派の人々は本当に強者なのか:
- 一般の人々は、社会的マイノリティから見ると確かに「強者」の側面はある
- しかし、現実的には日々の暮らしをやりくりする生活者に過ぎず、政治的な権力や影響力、具体的な権益にも浴していない
- 更に言えば、社会的マイノリティから「あいつは差別主義者だ」とレッテルを貼られれば即座に生活が崩壊しかねない「弱さ」もある
- 一般の人々を「強者」と認定するにはあまりにも「弱者」性が強い
- [MEMO]
- 所詮は社会活動をしている側のプロパガンダでしかなかった
- 「社会正義」を気持ちよく実行する為のレッテルを押し付けられていただけである
- 強い「弱者」への対応が最適化される世界:
- 社会的弱者やマイノリティが道徳的優位に基づく強者性を振りかざす時、「強者」認定された一般人にとって社会的弱者・マイノリティとの遭遇はリスクでしかない
- 建前上は彼らに対して寛容・融和的に振る舞いつつも、彼らとは一切関わらない距離を保つことが最適解になる
- 差別心や言動を剥き出しにして攻撃するのではなく、距離を取り関わらないことが正解になる
- 結果、表向きは優しげな建前で構成されているが、実質は内向きで不寛容な社会が到来する
第3章 - 1 ルッキズム
見た目で判断されない社会へ
奇妙な違和感 ――加速するルッキズム?
ルッキズム反対論は美しい人のためにある
ルッキズム批判の果てにあったもの
第3章 - 2 マッチングアプリに絶望する男
「すべての女がサイコパスに見える。もうだれも信じられない」
彼の見た風景
動物化する人間関係
女性だけが解放された
去勢された男たち
さらに理性的になり、ただしくなった男たちは、去っていった
第3章 - 3 健やかで不自由な世界
牛肉は地球環境の「敵」だ
嫌われていたヴィーガニズム
健康である義務 ――パンデミックで変わる倫理
「個人の自由」の喪失
第3章 - 4 自由のない国
一国二制度の終焉
「表現の自由」が存在しない国
「民主主義的プロセス」の省略
ファシズムを歓迎するリベラリストたち
第3章 - 5 置き去り死
トイレで生まれ、アパートで消える命
だれにも煩わされない社会を私たちは望んだ
弱者にのみ降りかかる自由の代償
「迷惑人間を撃退!」
彼女もまた「迷惑で不快な他者」だった
第3章 - 6 死神のルーレット
社会に復讐する者
弱者の「弱者」たるゆえん
誰もが見て見ぬふりをする
助けようとする人にさらにリスクを引きわたす
第4章 - 1 親ガチャ
「親ガチャ」という言葉が人びとを捉えた
バブルを知らない若者たち
人間社会の「ネタバレ」はもう済んだ
努力信仰が死ぬとき
第4章 - 2 子育て支援をめぐる分断
かつて社会が子どもを育てた時代があった
パンデミック後の景気対策として
「子どもたちのために」の建前に寄せられる不満の声
恋愛・結婚が贅沢になる時代
国家の存亡の危機
第4章 - 3 能力主義
大学は、あらゆる差別に反対する?
どうしても消せない差別
「能力差別」の合理性
ルッキズムを許さない高偏差値の学生たち
女性を競争社会に投入する
オリンピックが明らかにした知的エリートたちの想像力の欠如
交わることのない大衆とエリート
第4章 - 4 低賃金カルテル
厚遇される役に立たない仕事
エッセンシャル・ワーカーには感謝が寄せられるが......
だれもやりたくない地味できつい仕事をあえてする人なのだから
低賃金の原因は私たちの偏見にある
第4章 - 5 キラキラと輝く私の人生のために
「欧米ではメジャーでカジュアルな卵子凍結」
先進国のバリキャリ女性のために働く途上国の女性メイドたち
資本主義の忠実なしもべ
人権思想を守るために、不平等な人権をつくる
第4章 - 6 平等の克服
暴力と破壊が、社会を均す
平和な世界によって失われたもの
パンデミックは持たざる者たちの希望になりえるか
テクノロジーが「恐怖」を克服した
第5章 - 1 子ども部屋おじさん
増え続ける子ども部屋で暮らす中年男性
人間関係を得る資格とは
快適な社会の透明人間
他者を求めることは「加害」なのか
「社会問題」と呼ぶ責任
第5章 - 2 暗い祈り
新たな就職氷河期の予兆
- 新型コロナウイルス流行による新たな就職氷河期の予兆:
- 新型コロナウイルス流行により日本経済に深刻な経済的打撃が発生
- コロナ関連倒産は2000件超
- 2021年の新卒採用の凍結・縮小が相次ぐ
- 問題の本格化は2022年以降:
- 経済状況悪化の波が労働市場の需給バランスに影響を与えるのは数年のタイムラグがある
- リーマンショックの就職難もタイムラグをおいて発生した
- 国や社会は先の大不況を教訓に「新たな就職氷河期は作らない」ことを目標に掲げている
- [MEMO]
- 2025年時点で振り返るとそこまで労働市場が冷え込んだという印象は無かった
- むしろ売り手市場になり新卒の年収が30代40代の年収を超えるという事態が発生し、割と深刻な世代間対立が発生しそうである
「公平に」見捨てるべきだという声
- かつて自分達が浴びた論理を投げ返す氷河期世代:
- 「コロナ氷河期世代が生まれたからといって国や社会が助ける必要はない」
- 「自分達は助けられなかったのに、新型コロナ氷河期を助けるのはフェアではない」
- 「企業が倒産するのは時代の流れについていけなかった結果であり、自己責任」
- 「氷河期世代の自分は独り身で守る家族もいない。なのに何故協力しないといけないのか」
- 「コロナで自殺する若者が増えている、精神的に追い込まれる人が増えている、というが、これまではそんな事は自己責任として処理されてきた。氷河期世代の我々と同じように平等に扱うべきだ」
- [MEMO]
- 実際にこのような意見が通るとは思っていなくても、この程度は言いたくもなるだろうし、言う権利はあるだろう
すべての人が、同じ方向に祈っているわけではない
- 内心では不公平感を抱えている人々:
- 氷河期世代がかつて浴びせられた残酷な論理は彼らの中で鬱屈した負の感情の源泉になっている
- 公の場で明け透けに主張する人は多くはないが、匿名空間では容易に見つけられる主張
- こうした負の感情を抱いている人間は極少数の例外ではなく、それなりに多くの人間が共有している普遍的な感情でもある
社会の低迷と閉塞が救いになった人びと
- 暗い祈り:
- 長期のひきこもりがコロナ流行で感じた安心感
- 世間の人間が自分と同じひきこもりに近い状況になったことで自分の異常性が薄まることに安心感を覚えた
- できればもっと失業者が出たり、引きこもりが増加してほしい
- そうすれば自分に向けられていた「お前はダメな奴だ」という扱いが変わるかもしれない
- 社会全般が引きこもりになれば、自分もその一部となり負い目を感じずに済むという発想
みんな当事者の今が「透明化された」人の痛みを知る最後の機会になる
- 不謹慎な祈り:
- 一般論として考えると、氷河期世代の「あいつらも見捨てろ」論や引きこもりの「みんな引きこもれ」論は不謹慎
- 背景や動機はともあれ、他人の不幸を願っているので不謹慎との批判は避けられない
- とはいえ、そのような「暗い祈り」あるいはルサンチマンにも似た何かと無関係に生きてこれた人間は少ない
- 自分が感じる痛みや苦しみを他人も味わうべきだというある種の憎悪と祈り
- そのような祈りが確実に存在していることは事実であり、目を逸らしてはいけない
- 人間は自分で痛みを感じないと理解しない:
- 「時代の犠牲者」の人々の痛みを人間は理解できない
- 自分は痛くも痒くもないので実感として理解できない
- だから「自己責任」という理由を付けて無視してきた
- 新型コロナウイルス流行という異常事態で発生した社会的混乱はそんな人々にも平等に「痛み」を与えた
- この事が「時代の犠牲者」達への存在の認知と補償の議論を前進させる最後の機会になるかもしれない
- [MEMO]
- なっただろうか?
- 残念ながら何も変わらなかったように思える
第5章 - 3 きれいなつながり
震災によって、人びとは再び結ばれた
つながり過ぎたその先で
あなたは、つながるに値する?
「つながり」が格差を拡大する
人間関係という資産 ――分けられない宝
第5章 - 4 搾取者であり、慈善家であり
聖人君子はいない
ある金融家の搾取と善行
天才児のための財団 ――貧しき者から富める者への再分配
スポットライトの影にいる者たち
第5章 - 5 共同体のジレンマ
「オンライン・サロン」は悪なのか
無縁化/無援化社会か、搾取的な包摂か
潔癖さを求める現代の呪い
それでも私たちは個人主義を選ぶ
第5章 - 6 疎外者たちの行方
アウトサイダーの終焉
- 工藤会トップへの死刑判決:
- 福岡地裁で特定危険指定暴力団「工藤会」のトップへ死刑判決が下された
- 工藤会の特徴:
- 強い攻撃性
- 利害関係が対立すれば一般人を標的にする事も厭わない暴力性があった
- 特定危険指定は日本唯一
- ほぼテロ組織に近い扱い
- この判決が意味するもの:
- ヤクザという存在の終焉
- 下部構成員が犯罪を犯した時、組織のトップが連座的に逮捕・死刑判決まで下されるという事は大きな抑止力になる
「ヤクザ」が消えれば、やくざ者はいなくなるのか?
- ヤクザの弁明:
- ヤクザになる者は他に道が無く、最終的にヤクザになる者ばかり
- 自分から「是非ヤクザになりたいです」と入ってくる者はいない
- 子供の頃から酷い境遇で家出同然で世に流れ出て、最後にヤクザに行き着く
- 本人からすると誰も手を差し伸べてくれず放置され、生きる為にヤクザになるしかなかった
- それを外野が「迷惑だ」「消えてしまえ」というのはあんまりだという感情がある
- [MEMO]
- 実際、親からネグレクトされていて、半分ストリートチルドレンみたいな幼少期を送り、ヤクザに拾われたという話は枚挙に暇がない
疎外の果てに現れた者たち
- ヤクザは「結果」である:
- ほとんど選択の余地の無い者達が半ば自動的に行き着く先にいわゆる「裏社会」があっただけ
- 生活の為に自分に出来る仕事がそれだけだった
- 「厄介者」を最後に包摂したのは「社会の外側」の人々だけだった:
- 世間の人々が「無能」「厄介者」として爪弾きにした人々を受け容れたのは「社会の外側(あるいは裏側)」の世界だけだった
- 誰かが手を差し伸べていれば結末は変わったかもしれないが、結局はそうしなかった
- 現代社会を生きる「普通」の人々は逸れ者達がどこでどのように生きているか、何を糧にして生きているか全くしらない
- 下手をすれば彼らを肉眼で見たことすら無い人すらいる
- 関わりを全面的に拒絶することが現代の処世術:
- ヤクザに身を落とした厄介者達の姿や人生史を世間の人々は見ることがない
- 関わりを持たないこと、接近を拒絶することが社会正義だと規定してきた
- そんな人々からするとヤクザ者は一般社会に唐突に現れ、害悪を撒き散らす災厄のように見える
- 精錬潔白である為に「悪」を切断処理してしまう社会:
- ヤクザ者のようなアウトサイダーが発生する原因や社会的な疎外などを社会の構成員としての責任もろとも切断処理してしまうのが現代社会
- 自分達とは関係ないもの・存在としてしまえば、自分達は精錬潔白な存在でいられる
- [MEMO]
- 「悪役に悲しい過去」というのは創作では一般的なテーマではある
- 市井の人々も純粋な悪を想定しているわけではないはず
- それはそれとして他人の事情に構っていられないという冷淡さもまた人間社会
お前はどうするつもりや?
- ヤクザ氏の問い:
- 実際問題、ヤクザは今後やっていけなくなるだろう
- しかし、それでもヤクザになるような人間が消えるわけではない
- ヤクザにならないヤクザ者が街に蔓延ることになる
- ヤクザが嫌いだ、ヤクザは迷惑だというだけでは何も解決しない
- 他に生きる道があることを示さなければ、結局ヤクザ者はヤクザ者なりのやり方で生きていくだろう
- それをお前(筆者)はどう思うのか?
- 排除は解決にならない:
- ヤクザがひとつの結果であるならば、警察がそのトップを検挙し裁いたところで何も解決しない
- 一般市民が目を背け、社会から疎外している層が消えるわけではないからだ
- 我々一般市民がその疎外された人々に目を向け、その存在を直視することから始めるべきだ
終章 物語の否定
- [WIP]