フォールン・ブリッジ 橋渡し不可能な分断社会を生きるために (御田寺圭)
書籍情報
書籍目次
- 私たちは、つながりが分断する時代に生きている。
- 第1章 行き場なき者たち
- ある受け子のメモ
- 特殊詐欺容疑の「お守り」
- 「普通」の社会」から疎外された友人
- 「逸脱者」が「いい人」に見えた
- 選択肢のない人生の果てに
- 助けたい姿をしていない弱者
- 人物審査が課せられる「無給」の仕事
- 「かわいそう」の上澄みの底へ潜る
- 「ほらな、助けないほうが正解だったんだよ」
- 小さな「疎外」と小さな「包摂」
- 絶望のろ過装置
- 「弱者の叛乱」は起こるのか?
- 絶望は「ろ過」される
- それは社会にとっての「安全弁」だが……
- 揺るぎない民主主義のジレンマ
- 平然と欺瞞した男
- 「厳然としたリーダー」に絶望感を覚える人びと
- 「民主主義の揺るぎなさ」が牙をむくとき
- 野蛮な欧米人と、よい子の私たち
- 揺るぎない民主主義のジレンマ
- オルタナティブな暴力
- 許されない暴力/許される暴力
- "いじめ"で発揮される「知力による暴力」
- 「文脈」を変えるオルタナティブな暴力
- 見えないナイフが人を刺す時代
- いじめ問題にまつわる不都合な真実
- いじめ加害者が学校から推薦を受けて進学
- 「社会性」と重なる「いじめっ子マインド」
- 「いじめっ子マインド」の方が生きやすい
- 「うっすらいいっ子」を目指せ?
- 第2章 世代間対立の時代
- この世はでっかい老人ホーム
- 「迷惑老人」動画の拡散は何を予告するか
- 2040年には「4人に1人が認知症」
- あらゆる仕事が「老人介護的」になっていく
- 社会全体のリアルな老化と対峙できるか
- 快適で、そして冷たい社会
- 「赤ちゃんはむやみに触らないで!」
- 「子どもが迷惑だ」と苦情を入れる高齢者たち
- 「可愛い生き物に触らせてあげる」ことの保険料
- 「地域社会」が「ただ住んでいる町」に
- 奪い合いの時代がはじまる
- 行き場を失った知的障碍者たち
- 「介護・福祉の崩壊」が現実味を帯びる日本
- 「コブレ産業」としてのエッセンシャルワーカー
- 高齢者と障碍者がぶつかり合うとき
- 「ケアリソースの枯渇」が障碍児を持つ家族を孤立させる
- ジェネレーション・ロスト
- 「ロスジェネ世代」への逆風
- 就職氷河期世代の「幼さ」
- 年を取れば自動的に大人になれるわけではなかった
- サブカルチャーが、かれらを「永遠の若者」にする
- かれらは「大人になることを拒否した」のではない
- 第3章 若者と倫理
- かつてチャリで来た少年
- 伝説のネットミームの後日譚
- 大人になるために必要なステップ
- 真面目にやってきた人の「モヤモヤ」感
- 「いい子」が求められる「イベント」のない時代
- 恋愛を恐れる若者たち
- 「デート経験ゼロの20代男性」が4割の時代
- 恋愛意欲の低下
- 「トライ&エラー」すらできない時代
- 「倫理的孤立」を選んだ私たち
- かぶき者が消えていく
- 東京オリンピックの亡霊
- 言ってしまえば「芸事」とは……
- 「きれい」でなければ門すらくぐれぬ若者たち
- きれいにないない者たちの行く末
- いつまで「裁く側」でいられるのか
- 知性の行き詰まり
- イノベーションの時代を経て
- 「そこそこの秀才」が役割を得られなくなった社会
- 空事を阻害する行き詰まった知性
- エリートは合法的な「収奪」で稼ぐ
- 体験格差の時代
- タクシーで送迎され習い事に通う子どもたち
- 「体験投資」が人生を左右する時代
- 格差拡大装置としての「体験」
- 「体験投資レース」が少子化を加速させる
- 第4章 未来という名の侵入者
- ある町の悲鳴
- 「都会風を吹かさないで」
- 集落からあがる悲鳴
- 「人生100年時代」の毒
- ぶつかり合い、すれちがう想い
- 資本主義の終わりの姿が私たちにも見えてきた
- すべては資本主義のために?
- 資本主義と個人最適化のパラドックス
- 資本主義の副産物としての少子化
- 移民政策は焼け石に水
- 先進国は本当に賢いのか?
- 昭和99年の東京
- どこよりも「遅れた」街
- 手厚い経済に守られる「昭和」の面影
- 「未来」から逃げる若者たち
- いずれ東京も「未来都市」になる