本を読めなくなった人たち ――コスパとテキストメディアをめぐる現在形(稲田豊史)
書籍情報
- 著者:稲田豊史(著)
- 発行日:2026-02-09
- ISBN:9784121508614
- URL:https://www.chuko.co.jp/laclef/2026/02/150861.html
書籍目次
- プロローグ ――本を読まない人は世界をどう見ているのか
- 無料化した文章の果てに長い文章が読めない人たち
- 本と文章の必要と効率
- Z世代は文章にどう接しているのか
- 非読社会化した日本で
- 第1章 ニュースを無料で読む人たち ――無料ウェブメディアの行き詰まり
- ニュースは取りに行かない、降ってくるから
- 誰が書いているかなんて考えたこともない
- フォロワー数が多いアカウントは信じられる
- スマホが使えたら新聞を取る必要はない
- 「実利的かつ必要な情報」なら課金してもいい
- 「他人の不幸」「エロ」「マンガ」「クイズ」しか読まれない
- イーロン・マスクが無料ウェブメディアの質を落とした
- AIにPVを削られ、AIで記事を作る
- 「いい記事」はネットに出てこない?
- アテンション・エコノミーからエンゲージメント志向へ
- 「秒」で理解できることしか関心を払われない
- 「インターネットは膨大な知の記録保管庫」ではなかった
- 10年で30%のウェブページが消滅している
- 第2章 本を読まない人たち ――〈わかりみ〉と〈おもしろみ〉
- 日本人の6割以上が1ヵ月に1冊も活字の本を読まない
- 読書は「ながら」ができないからコスパが悪い
- 「本の情報はネットで代替できる」論
- 長い文章を読めない
- 村上春樹を10ページも読めない
- 3行の文章題が理解できない
- 読めないなら生成AIに要約してもらえばいい
- 優等生でも長文が苦手
- 実利性が高い本は読む
- 「映画化されるってことは、面白いに決まってる」
- 本をたくさん読んでいるからといって賢いわけではない
- 賢さに寄与する読書と寄与しない読書
- フィルターバブルは“賢さ”の敵
- 読書エリートは受動性と無縁
- 数百字のテキストより10分の動画
- テキストに我慢していたビジネスパーソンが動画に行く
- 動画視聴は受動的だから楽
- 楽は付け入る隙を与える
- マスメディアは「冗長」
- 動画偏重で「ふいんき」「永遠と」がはびこる
- わかりやすくなければ、読まれない
- 純文学でオープンエンディングが許されない
- 〈わかりみ〉=思考の停止、〈おもしろみ〉=思考の開始
- 〈わかりみ〉=コスパ重視、〈おもしろみ〉=コスパ度外視
- 「朝の読書」は読書習慣をつけない?
- 朝読は「現在の読書習慣とはまったく関係ない」
- 「スマホのせいで読まなくなった」と主張する若者たち
- 親の本棚=文化資本
- 長い文章を読めるのは特殊能力
- 第3章 本と出合えない人たち ――無料抜粋記事と電子書籍の限界
- 何を読んでいいのかわからない
- 書評って何ですか?
- 本の情報は勝手に降ってくる短尺動画で取る
- 無料抜粋記事で本と出合えるか
- 切り抜きで満足してしまう人たち
- 「いいね」する人と本を買う人は別
- テキストを「安く」しているのは誰なのか
- 動画を好む客に本を売る
- 20年で新書の初版部数は半分になった
- 活字本の電子版は出合いの場に乏しい
- 続巻商売ができない活字の本
- 「安くする」しかプロモーション方法がない
- 活字の本を読む大学生は電子を好まない
- 電子コミックは「所有するほどでもない人たち」のニーズを満たす
- 活字の本は電子のメリットを享受できない
- 第4章 本屋に行かない人たち ――聖域としての書店
- 「売れない服は店頭に置かないじゃないですか」
- 検討コスト、思考コスト
- 書店は美術館レベルでレアな存在
- 雑誌を買う大学生は1割もいない
- 普通の人間の生活で、本棚は部屋の真ん中にない
- 業界の商慣習なんて「知らんがな」
- 本屋は「余裕のある人」しか行かない場所
- 富裕層向け化する本
- 「本が好きな私が好き」という自意識
- 独立系書店とシェア型書店という選民的空間
- 文脈が不快な「圧」になるとき
- 「本好きがつながれる場所」という島宇宙
- 好事家が懐古趣味的な興味を満足させる場所
- 終章 紙の本に集う人たち ――読者と消費者
- 「こんなものを読書と呼ぶな」
- 「読者」的集団と「消費者」的集団
- 生成AIによって文章が「安く」なっている
- もうすぐ絶滅するライターという職業について
- 紙の本は多様な利益を長期的に呼び込む「資産」
- 紙の本には権威と信頼性がある
- 究極の自己実現手段である紙の本
- ファンは「コンテンツ」ではなく「キャラ」につく
- 紙の本の所有は継続性の高い顧客を育む
- 読書行為はラテン語化し、読書能力はレガシー化する
- あとがき
- 主要参考文献
第1章 ニュースを無料で読む人たち
ニュースは取りに行かない
- 現在の若者は親世代よりずっと多くのテキストを読んでいる
- ニュースにも触れている
- ただし、新聞ではなくSNSやリコメンドサイトがメイン
- 受動的な視聴態度
誰が書いているかなんて考えたこともない
- 学生は記事の書き手を意識することはない
- [MEMO]
- 親世代も新聞記者個人を意識することは無いと思われるが
フォロワー数が多いアカウントは信じられる
- 「誰が書いているか」には興味は無いが情報元の信用性・信頼性は気にする
- 評価基準はフォロワー数の多さ
- [MEMO]
- 親世代も新聞社で信用性や信頼性を評価しているのでは?
- 実質的には大して変わらないように見える
スマホが使えたら新聞を取る必要はない
- 多くの現代人はネット上の記事に金を払う発想はない
- 学生のみならず大人であってもネット上の記事が広告料で運営されていることに無理解
- [MEMO]
- テレビもCMによって番組が作られているわけだが、それを正確に理解している人間はどれだけいるのか?
- 更に言えば知っていたからどうだというのか?
「実利的かつ必要な情報」なら課金してもいい
- 日経電子版への課金率は比較的高い:
- 進路の検討や就活に役に立つものには課金する傾向
- マイナス状態からの脱却がモチベーション:
- 読んでおかないと不利になる、知らないと就職後不利になる、その情報を知らないがために不利益を被る可能性があり、それを避ける為になら課金する
- 将来も課金されるテキストメディア:
- ビジネス系メディアのサブスク以外は残らない可能性が高い
- [MEMO]
- 合理的な消費態度に思えるが
「他人の不幸」「エロ」「マンガ」「クイズ」しか読まれない
- 昨今のWEB記事で確実にPVが期待できるテーマ:
- 他人の不幸
- エロ
- マンガ
- クイズ
- ニュースサイトは広告料で運営されている:
- ニュースサイトが無料で記事を掲載しているのは、PVに応じた広告料が収入になるため
- 2020年以降はそれも低調
- ユーザーがテキストサイトからSNSやYoutubeにシフトしたため
- PVは低下し広告収入も落ちている
- [MEMO]
- 新聞からラジオ、テレビへ視聴者が流れていくのと同じことである
- より認知負荷の低いメディアに流れていくのは当たり前のことではあるのだが
- 大衆に人気のあるテーマは今も昔もゲスな話題というのも変わらない
イーロン・マスクが無料ウェブメディアの質を落とした
- 2022年まではまだマシだった:
- 大衆が下衆で刺激的なものや分かりやすいものを求めるのは今に始まったことではない
- しかし、2022年まではもう少し多様性があった
- [MEMO] 本当か?
- 多様性が失われた理由:
- 2022年10月にイーロン・マスクがTwitterを買収
- 日本のキュレーションチームが解散させられた
- キュレーションチームの仕事:
- 彼ら(キュレーションチーム)が意義があると判断した記事を人目に触れさせること
- 各サイトの編集者が自社の記事をキュレーションチームに推薦(自薦)
- 推薦された記事をキュレーションチームが審査し「意義がある」と認められた記事が目立つところに配置される
- 目立つところに配置された記事は多くの人が見る為バズりやすくなる
- キュレーションチームへの批判:
- 「Twitterは世論誘導をしていたのか?」という批判がされた
- キュレーションチームへの擁護意見:
- 確かにTwitterはプラットフォームであり、メディアではない
- しかし、集まってもらいたいユーザーが好みそうな場を整える・その方針を検討するという意味ではメディア的な側面もある
- 新聞や雑誌が読者像を想定して編集方針を決めるのとの同じである
- Twitterは公共サービスではなく民間企業である
- そんなTwitterが中立を掲げる必要はない
- したがって、世論誘導してはいけない理由もない
- むしろキュレーションチームが確固たる意思をもって、彼らが考えるTwitterの秩序と品位を保っていた
- 大衆は放っておけば、「他人の不幸」や「分かりやすく刺激的なもの」しか読まない
- キュレーションチームはある意味で、Twitterという場の知的堕落を阻止する防波堤の役割を担っていた
- しかし、防波堤がなくなったことで、Twitterは、野放しで品位の欠けた「便所の落書き」のごとき様相を呈した
- [MEMO]
- 「Twitterは公共サービスではなく民間企業である」「そんなTwitterが中立を掲げる必要はない」
- ↑そうであるなら、Twitterがイーロンに買収されて方針が変わったことに文句を付ける筋合いは無いのではないか?
- キュレーションチーム消滅の影響:
- いつもならTwitter経由で読まれていたような骨太な記事のPVが明らかに伸び悩むようになった
- 品のないワードが頻繁にトレンド入りするようになった
- ヘイトや誹謗中傷、真偽不明の憶測、フェイクニュースや陰謀論、炎上への加担や便乗といった投稿がTwitter上で頻繁にバズるようになった
- 短絡的で刺激的な情報だけを求め、他人の不幸に笑いを浮かべ、成功者が炎上することで溜飲を下げるユーザーが、このような投稿にこぞって「いいね」を押し、リツイートしたからである
- [MEMO]
- 当時のキュレーションチームが「意義がある」とみなしていな記事はつまるところ「リベラル派が好む記事」であった
- どういうものかと言うと「MeToo」「BLM」「環境保護」
- そして、それらを妨げると見なされた人物・企業に対するキャンセルカルチャー
- ベクトルが違うだけでやってることは何も変わらないし、意図的に誘導された結果なら尚更悪い
- その結果がリベラル派・リベラル政党への不信感であり、トランプ政権誕生の推進力になったわけだが
- バズる為の仕組みの変更:
- イーロン買収後、Twitterはインプレ回数に応じて認証ユーザーが収入を得られるようにした
- 外部サイトのURLが入ったツイートは表示の優先順位が下げられた
- 結果、わざわざリンクを踏んで記事を読みに行かなくてもよい短文、もしくは画像投稿が主流になった
- 結果、とにかく人目を引く投稿をすれば儲かるようになった
- [MEMO]
- これはインプレゾンビが大増殖して失敗だった
- WEBメディア製作者の泣き言:
- 日本でウェブ記事の存在を世に拡散できる最強・最大のプラットフォームはTwitterであること
- 日本最大のニュースポータルであるヤフーニュースも読者の大部分をTwitterからの流入に依存している
- 時間をかけて作られた記事(長くて難解な記事)はTwitter経由では読まれなくなった
- 結果、各サイト、特に無料ウェブメディアは「いい記事」ではなく「便所の壁で目立つ落書きの要素を含む記事」を量産せざるをえなくなった
- 「Twitterのキュレーションチームが解散したとき、もうウェブメディアは終わったなと思いました」
- [MEMO]
- 他人のフンドシで相撲をとるみじめな状況を棚に上げて「いい記事」だの「便所の壁で目立つ落書き」だのと言っているのは滑稽である
- 「Twitterのキュレーションチームがいれば〜」などはそれは癒着というのだという指摘もできる
- そもそもSNSに寄生してPVを稼ぐという自立性の低さを反省するべきではないか?
- [MEMO]
- キュレーションチームが特定のイデオロギーに染まり、特定のメディアと組んでキャンセルカルチャーを推進していた・結果的にそのような事態を引き起こしたことに言及しないのは不誠実
- 自分好みのイデオロギーが優遇されなくなったという不満を社会的な問題にすり替えているだけではないか?
- そもそも長文のテキストが人々に読まれなかったのは2022年以前もそうだったし、Twitterの仕様変更でそれが顕著になったわけではない
- そもそも、Twitterは200文字程度の短文でコミュニケーションをするSNSだったことを忘れてはいけない
- WEBメディアが都合よくメディアとして利用・フリーライドしていただけであった、それこそTwitterがWEBメディアに配慮する必要も無かった
AIにPVを削られ、AIで記事を作る
- ベテランウェブ編集者氏の嘆き:
- イーロンのTwitter買収後、各記事のPVはが全体的に低下
- 編集部ではコスパの高い記事の企画しか通らなくなった
- 概ね15万PV達成が期待できる記事が目安
- 手の込んだ調査記事やルポはWEBではますます難しくなった
- 朝日新聞デジタル編集長伊東大地の嘆き:
- コストのかかったコンテンツや報道を無料で提供することは現状のインターネットでは限りなく困難
- 無料WEBメディアを良識的なコンテンツだけで成立させることは難しい
- [MEMO]
- 何をもって良識的とみなすのか定義していない
- つまるところ「我々が良識的とみなしたものが良識的なのだ」という話で傲慢さが鼻をつく
- [MEMO]
- AIによる追い討ち:
- GoogleのAIオーバービューによるPV減少
- 大半の人は要約された情報で十分
- 「結局、人の知りたい欲求なんてそんなもんなんですよね(大手週刊誌系ニュースサイト編集者)」
- [MEMO]
- 週刊誌に乗っている程度の情報に大した深みなどないので仕方がないのではないか?
- そもそも人間は自分の生活に直結しない情報などは大雑把な結論が知れればそれで十分なのは昔からそうだろう
- ニュースサイトのAI利用:
- サイトの収入源が広告収入である以上、記事の数は減らせない
- ひとつの記事の企画立案や制作コストの削減がメインになる
- AIによる制作コストの削減が行われている
- インタビュー記事を作る場合
- 編集者が直接インタビュー
- →インタビュー録音をAIが文字起こし
- →それを元にAIが原稿作成
- →人間が整えて完成
- [MEMO]
- AIによって制作コストが削減できているなら、「意義のある」コンテンツぐらい個人の持ち出しでやればよいのではないか?
- 稼げるコンテンツで効率よく稼ぎ、「意義がある」「大衆にはウケない」コンテツは自腹でやっていればよいと思われるが
- 現在の新聞社も収益の大半は不動産収入であり、新聞事業での収益は見込めない状況で、イデオロギーの拡散装置として維持しているのが現状である
- それと同じことではないか?
- 総じてオールドメディアの自己憐憫という印象を受ける
「いい記事」はネットに出てこない?
- 週刊誌系WEBメディアの泣き言:
- WEBメディアはPV至上主義である
- なので、刺激的で低俗な記事(ゴシップ記事)しか注目されない
- サブスク制を導入できれば「意義のある」記事を入れ込む余裕もできるが、ユーザー層はサブスク契約するような層ではない
- 結局、日々ゴシップ記事を量産している
- [MEMO]
- そもそも週刊誌に求められているのは暇つぶしのゴシップでは?
- 所詮あってもなくてもよいメディアという扱いなのは最初から自明なのではないか?
- 先に述べた通り、ゴシップで稼ぎ、趣味で「意義ある」記事を書いていればよいのではないか?
- ゴシップ記事を量産するメディアで「意義ある」記事を書きたいという欲求自体が誤りなのでは?
- 「意義ある」記事が書けるメディアに転職するのが筋なのでは
- 気晴らしに同人活動:
- 会社勤めの傍ら、批評系の同人誌制作をやっている
- 同人活動は仕事で溜めたストレス解消
- [MEMO]
- それで十分満たされるならそれで良いのでないか?
- 不満を持つ意味がわからない
アテンション・エコノミーからエンゲージメント志向へ
- アテンション・エコノミー:
- 関心・注目に経済的な価値が発生する(PV至上主義の根底)
- 人間が受け取れる情報は有限なので関心・注目の争奪戦が発生した
- 2022年のイーロン買収後、それが促進された
- [MEMO]
- Xでの話を過剰に盛っているところがある
- そもそも消費者の関心・注目を引くのは広告ビジネスではずっと昔から当たり前のことである
- ITの世界でもそれは変わりはしない
- どうも自説に都合のよい事象をピックアップしている気配があり、総合的な主張の信頼度に疑問を感じる
- ファンダムに媚びる(エンゲージメント志向へ):
- PVを確実に取る溜めには釣り見出しや炎上商法が効果的だった
- とはいえ、それらの手法もすぐに見抜かれ手法としての耐用年数が来ている
- 最近の手法はファンダムの中で最も優勢な「お気持ち」を調べ、そこに完全同調する内容の記事を書くこと
- ライターや制作陣がどう思っているかや社会通念に照らしてどうかという観点は全く考慮しない
- つまり、ファンダムに徹底的に媚びることでPVを獲得する
- [MEMO]
- とはいえ、このような手法はそもそもテレビなどのオールドメディアがやってきた事の焼き直しなので、何を今更という感はある
「秒」で理解できることしか関心を払われない
- WEB記事における最大の悪手:
- 「誰も問題にしていない論点や持論」を新規に提議すること
- ネット上では脊髄反射的に「秒」で理解できることしか関心を払われない
- [MEMO]
- ネット上に限ったことだろうか?
- アテンションエコノミーの最大の罪は炎上商法
- エンゲージメント志向の最大の罪は「お客のご機嫌」に配慮するあまり、行われるべき問題提起や掘り下げるべき議論が為されなくなったこと
- [MEMO]
- 議論のポイントを自分達が設定したい、しかし、そうするとPVが稼げないのでできないという話にしか見えない
- したければすればよいのであり、その結果を引き受ける覚悟が無いだけである
- 商業主義に走ったのは自分達なのに何故他責思考になってしまうのか?
「インターネットは膨大な知の記録保管庫」ではなかった
- インターネットにアーカイブ性は無かった:
- インターネット上の記事は運営者の都合で消える
- かつてはインターネットは半永久的なアーカイブだと信じられていた時代もあった
- インターネットは情報参照性としては大きな欠陥がある
- [MEMO]
- これは確かにそう
- しかし、記事を消してしまうのは運営者の問題であり、削除するのではなくアーカイブとして公開しないのもまた運営者の責任である
- 雑誌や書籍はオフラインで物理的に存在するから頑強という主張も保有コストを個人に転嫁していることや、中古書籍流通網というインフラに依存していることに言及しないのは不誠実
10年で30%のウェブページが消滅している
- 2013年に存在したWEBページは2023年には38%以上が消滅している
- 個人がブログにコツコツ書き溜めた文章もブログサービスが終了すればまとめて消滅してしまう
- 2020年代以降のネット記事はアーカイブも残らず消えてしまう、後年振り返ることができない可能性が高い
第2章 本を読まない人たち ――〈わかりみ〉と〈おもしろみ〉
日本人の6割以上が1ヵ月に1冊も活字の本を読まない
- 16歳以上の日本人の62.6%は1ヶ月に1冊も活字の本を読まない
- [MEMO]
- 20世紀の頃からそんな感じだったように思うが
読書は「ながら」ができないからコスパが悪い
- 読書はコスパが悪い理由:
- 「ながら」読みができない
- 昨今の若者は複数のメディアを並行して見たり聞いたりするスタイルが主流
- 動画を流し見しながらチャットや通話を行うなど
- 読書は文字を追う必要があり処理コストが高いので並行処理が難しい
- 結果、読書は読書だけに集中する必要があるのでコスパが悪いという話になる模様
「本の情報はネットで代替できる」論
- 大抵の調べごとはネットで事足りる:
- 大抵の調べごとはネットで事足りるので読書が殊更大事とは思えないという風潮
- [MEMO]
- 一理ある
- 専門分野などはまとまった情報は書籍にしかないという状況はあるが、それは本当に極一部ではある
- ネットに無い情報は無いも同然
- [MEMO]
- むしろあらゆる情報をネットに上げればよいと思うのだが
- DeepWEB、PayWallという概念は知る必要があるだろうか
長い文章を読めない
- 昨今の大学生の大半は長文の読解が苦手:
- [MEMO]
- そもそも長文読解が得意な人間の方が少数派
- それ故古来から文字が読める人間は特殊スキルとして厚遇されてきたわけで
- 大学全入時代で学力の低い個体が大学に進学するようになった弊害では
村上春樹を10ページも読めない
- T/O
3行の文章題が理解できない
- 小学生の学力の変化:
- 小学生向けの算数の文章問題の話
- 3行程度の文章ですら何を問われているか理解できない子供が増えた
- 読解力低下の原因:
- すぐに議論を知りたがるからではないかという仮説
- Youtubeの動画はシークバーを操作することで自分の好きなところへ移動可能
- すぐに結論やオチを見にいくことができる
- 文章はそうではないので結論まで集中力が維持できない可能性
- また、予備校では文章題の解き方として「効率的」な読み方を教える
- 「この部分は本質的な内容ではないので読まなくてもよい」的な講義が行われる
- 結果、「問題の文章は読み飛ばしてもよい」という学習が行われる
- [MEMO]
- 確かに文章を全く読めないキッズは増えている印象はある
- 明らかに単語だけに反応しているなというキッズはネットで跋扈している
- とはいえ、キッズが愚かなのは何時の世もそうなのでは
- そのようなキッズは徹底的に小馬鹿すれば学ぶのではないか
- 痛みこそが学習の動機になるという側面を忘れてはいけない
- 受験期には読書を控えさせるという予備校の指導:
- 予備校では受験期には読書を控えさせることが定番の指導になっている
- 読書より勉強を優先させる
- [MEMO]
- 読書 = 娯楽なら、そりゃ受験勉強を優先させるよう指導すると思われるが
- 絵本を買わなくなる親:
- 幼児期の子供には絵本を買っていた親も子供が小学校に入学すると絵本を買わなくなる
- [MEMO]
- そもそも小学生は絵本を読まないのでは?
- 早ければマンガに手を伸ばし始める時期だと思われるが
- 中学三年生の15%は主語がわからない:
- 中3の生徒の15%は文章の初歩的なルールさえわからない
- [MEMO]
- 体感的にはそんなものでは?
- 治安が悪い・偏差値が低い中学校なら別に珍しくもないような
- 全ての中学生が偏差値の中央値にいるわけではないという当たり前の話である
読めないなら生成AIに要約してもらえばいい
- 長文はAIに要約させる:
- 村上春樹の小説を10ページも読めなかった学生曰く
- 小説以外のコンテンツは幾らでもある
- 長文の文章を読む必要があればAIに要約させれば十分
- [MEMO]
- 合理的な行動である
- そもそも人間の感情が乗った文章は結論に対してノイズが大きすぎる問題がある
- 現代人は文章を読むのにAI頼りになってしまう:
- NotebookLMのようなAIに要約させるツールに頼らなければ人類は長い文章を読むことができない
- [MEMO]
- そもそも長文は結論に大して情報の密度が薄い(冗長である)
- そんなものを律儀に読んでいられないというのはある
- 文字書きが商売の人間は無自覚だろうが、何文字幾らでページを埋めている人々の文章は総じてゴミである
- 文字数を埋めることが目的になっており、情報としては冗長過ぎる
- 投入した時間に対して得られるものが割に合わなければ相手にされなくなるのも必然
優等生でも長文が苦手
- 現代人は加速度的に長文が読めなくなっている:
- 長文が読めない人は古来よりいた
- しかし、2010年以降はその割合が加速度的に増加している
- [MEMO]
- データが示されていない
- スマホの普及で「歩きながらでも短い文章を読む」という習慣が浸透した
- [MEMO]
- ガラケーの頃からそうだったが?
- 更に言えば、ケータイ小説などのように短い文章の切れ端のような読み物は2010年以前からずっとあった
- スマホやSNSに原因を求め過ぎていて、それ以前の分析があまりにも疎かになっている
- ひとつの話題は見開き2ページに収める:
- 岩波ジュニア新書やチクマプリマー新書の編集者からの提案
- 2ページを超える長文は読者からの評判が悪く読まれない
- 学力の高い子でも長文が読めない傾向
- 「バカほど長文が読めない」とは限らない
- [MEMO]
- そもそも何文字いくらの商売をしている売文業は冗長に文章を書くことにインセンティブが発生する
- 一方、読者はそんなページを埋める為の文章に付き合うインセンティブが無い
- まずは自分達の異常性を自覚することから始めた方がよいのではないか?
実利性が高い本は読む
- 読書習慣のある大学生の話:
- 読書習慣のある大学生もいることはいる
- そのような学生が読むジャンルは8割方小説やラノベ
- 普段は読書習慣の無い大学生が読む本:
- (1) 実利的なメリットのある本:
- 就活の研究本
- 自分の専攻など専門分野に関する本
- スキルアップに活かせる本
- (2) マルチメディア展開された作品の原作小説:
- 映像化によって関心を持った作品の原作
- (1) 実利的なメリットのある本:
- [MEMO]
- 現代人が長文や本を読まないという主張を自己否定している
- 実利的な目的で本を読むのは読書とは言わない派閥の人間なのだろうか?
- 結局、必要や興味があれば本を買い長文を読むということではないか?
「映画化されるってことは、面白いに決まってる」
- 日本では年間65,000点の書籍が刊行されるので全てをチェックできるわけがない
- 人気作品だけチェックしていれば十分という感覚
- [MEMO]
- 合理的な消費行動に思える
- 聖書が世界的ベストセラーになったのは他に読むものが無かったからという話を思い出す
本をたくさん読んでいるからといって賢いわけではない
- 本を読んでいる人が必ずしも賢いわけではない:
- 冊数をたくさん読んでいるからといって、そうではない人と比べて言語能力が高くなるわけではない
- 例えば、英語が喋れることが賢さと直結するわけではないのと同じ
- 長文を読み通せることは価値のある能力だが賢さの絶対指標にはならない
- [MEMO]
- 当たり前の結論である
- これまでに話は一体何だったのかという感がある
- この冗長さこそが本が読まれない理由なのではないか?
賢さに寄与する読書と寄与しない読書
- 学校の成績と読書量の相関:
- 小中学生の場合、「1日の読書時間が30分未満までは読書時間が長いほど成績は良いが、30分を超えると読書時間が長いほど成績が落ちる」という調査データ
- 読書時間が増えると勉強時間が減るという当たり前の話
- この場合、読書は「賢さ」に寄与しない
- この文脈での「賢さ」は学校のカリキュラムの習熟度/達成度を指す
- 読書量と国語の成績に相関関係はない説:
- 国語が得意な子に本を読んでいるのかを聞いてみたところ、必ずしも読んでいないという回答
- 未検証ながら国語の成績と読書量は関係ないと思われる(前述の塾講師の証言)
- 読書によって語彙力が付く説への疑問:
- 2025年9月Threadsで「無言の帰宅」を、「黙って帰宅すること」と誤解している投稿がXで拡散、ネットの笑いものになった
- 一方、ライトノベルなどでは最早見かけない言い回しであり、現代語としては死語に近いという意見もあった
- 書籍の分野によって使われる語彙は大きく変わり、界隈によっては死語になりつつある言葉もあるということで、読書をしたからと言って語彙力が上がるわけではない
- [MEMO]
- ラノベなどは特に平易な文章が求められるので尚更語彙は貧弱だろう
- 地頭の良さと読書習慣の相関性:
- 読書という行為だけでは計れない問題
- 何を読んでいるかに強く依存
- 世界観に浸る没頭型読書と実利目的で答えを得る為の読書、テーマについて思索する為の批評的/分析的読書では脳の使い方や得られるものが全く違う
- したがって、本を読んでいるというだけでは地頭が良いという評価も下しにくい
- 脳の使い方と筋トレ:
- 筋力アップの為の高負荷トレーニングもあれば、リフレッシュの為に軽く汗を流すだけのトレーニングもある
- 目的が違えば結果も違ってくる
- 読書も同じである
- [MEMO]
- これが本題と思われる
- 古典:
- 世界ではエリートに古典を学ばせる
- 自分と違う時代に生きた人間の考え方や価値観を知ることで現代の自分を相対化できるから
- 自分を絶対視しない姿勢を身に着けることが一種の「賢さ」と見なされている
フィルターバブルは“賢さ”の敵
- ラノベに求められる読書体験:
- ある種のラノベの読者は基本的にその世界観にどっぷり浸かる快感が求められる
- 何かテーマについて考える読書ではない
- 自分が気持ちいいと思える世界観とキャラクターが重要
- ストーリーはお約束な展開で意外性は求められない
- [MEMO]
- なろう系のことだと思われる
- 確かになろう系はそういうジャンルである
- 読書の分類:
- 読書は「教養」と「娯楽」に二分される
- 前者は未知を発見し思考するための読書
- 後者は保証された快楽を再確認する為の読書
- 「娯楽」の読書では「賢さ」を獲得できない
- [MEMO]
- 一理ある
- 小中学生の学力低下の核心:
- 塾講師曰く:
- 何かについて丁寧に説明しても、今説明したばかりのことを聞き返される事が増えた
- 質問内容に関しても自分なりに十分考えた上のものではない
- 説明の途中でわかったつもりになって遮ってしまう
- しかし、最後まで聞いていないのでやっぱり理解していない
- 昔からそういう子供はいたがここまで多くはなかった
- 更に大学を卒業したばかりの新任教師にもその傾向が見られる
- 塾講師曰く:
- フィルターバブル説:
- 現代人は自分の好みのコンテンツのみに触れている
- 昔は興味が無くてもテレビや街のラジオなどで様々な歌が流れていてなんとなく知ることができた
- 結果的に興味が無くてもとりあえず見たり聞いたりする習慣が養われた
- 現代人はアルゴリズムでリコメンドされた興味関心に基づく自分好みのコンテンツしか触れないので、未知の情報への耐性が低下しているのではないか
- [MEMO]
- 一理ある
- とはいえ、特定の情報摂取パターンにどっぷり浸かると応用が効かなくなるのは人間の普遍的な行動パターンである
- 知らない単語にぶつかると読書を止める:
- 世の中に文章中に知らない単語が出てくると読むのを止める人がいる
- アカデミックの世界の人間は読書を知らない単語や概念を学ぶためだと考えるので驚く人もいる
- とはいえ、日本人の6割以上は1ヶ月に1冊も活字の本を読まないので、その方が多数派であると思われる
- [MEMO]
- 基本的に多くの人間は社会人になったら学ぶことを忘れてしまうものである
- 仕事内容の変化が緩やか/変化しない職業の場合、新人研修で習った知識でかなりの年数やっていける
- 人間は必要もないのに学ぶことを選ぶ生物ではない
- ITエンジニアなど学び続ける必要性がある、そうするインセンティブがある職業でない限り、人間は学ぶことを止めるのだ
- 実のところ、ITエンジニアとて学びを止める者は多い
- それは当たり前の話で、勉強より繁殖活動の方が人生にとって重要なテーマになるからである
読書エリートは受動性と無縁
- 読書エリート:
- 地頭が良い、かつ沢山の本を読んでいる層
- 大学生の中では特殊な層
- 読書エリートの読書量:
- 過去1年間に購入した本の冊数は5-15冊
- ただし、授業や研究など必要に迫られて購入した専門書/参考書は含まれない
- 単純に趣味としての読書として購入したもの
- また、図書館で借りた本も含まれていない
- 図書館のヘビーユーザーでもあるので図書館で借りた本も含めるともっと多くなる
- 読書エリートの読む本:
- 古典文学
- 国内外の純文学
- 詩集
- 哲学/人文系書籍
- 社会学系の書物
- 多くは無いが新聞を購読している者もいた
- 読書エリートの情報収集スタイル:
- タイムラインに流れてくるポストを受動的に眺めるのではなく、新聞社などの公式アカウントをフォローして能動的情報をチェック
- 関心のある作家や出版社の公式アカウントをフォローするなどタイムラインを能動的に作っている
- [MEMO]
- 興味のある分野の公式アカウントをフォローして能動的に情報をチェックするというのは誰でもやっていることでは?
- 読書エリートと言うよりツイ廃とか活字マニアの類に見えるが
- ツイ廃が活字マニアを兼業している確率は確かに高そう
- 要するに昔から一定数いた人種
- 文学(少年|少女)などいう層
- まぁ、読書エリートというラベリングでも良いと思うが
数百字のテキストより10分の動画
- 長文読解より動画視聴:
- ここ数年の若者は知りたいことをネットで調べる際、テキスト検索だけでなくYoutubeなどで動画を検索する
- テキストを黙読するとり10分の動画を倍速で見る方が情報摂取効率が高いと感じている
- [MEMO]
- 新聞からラジオ、テレビへとメディアの主役が変わっていったのと同じで、テキストより音声、動画の方が好まれるのは当然のことである
- なので何故今更こんなに悲観的になっているのかという感覚がある
- 小学1年生のコンテンツに対する好感度:
- とあるツイート:
- YouTube→至高の娯楽。この世全ての楽しさが詰まった宝石箱。神の如き指針。生きる指標。
- アニメ→好き。楽しい。鬼滅。
- 漫画→自分には縁遠い。難しい。読み方が分からない。
- 絵本→刑罰。音の出ないゴミ。
- 文字の比率が高くなるにつれて嫌われている
- 絵本より下にあると思われる活字の本はゴミ以下であると推察される
- [MEMO]
- とはいえ、親世代だってテレビに齧り付いてたテレビっ子だった者達は多いだろう
- 子供なんてそんなものでは感ある
- とあるツイート:
- 能動的な娯楽と受動的に消費する娯楽
- できる子は物語性のある漫画を読み、戦略を必要とするゲームに没頭
- できない子はずっとショート動画を見ている
- 小中学生を教える教員や塾講師の間で一定程度流布した言説
- [MEMO]
- 昭和の時代もテレビを文字通り口を開けて見ている子供もいたわけだが
テキストに我慢していたビジネスパーソンが動画に行く
- 大人も活字から動画へのシフトが進む:
- 黙読が早い人は今でもテキストベースで情報を収集する
- 概ね高学歴
- 「30秒で読めるものをわざわざ5分以上かけて動画で読むのか?」という意識
- とはいえ、黙読が遅い人や文字情報の処理能力が低い人の方が割合としては多い
- これまでは我慢してテキストを読んでいた人達も動画から同じ情報を得られるなら動画を選ぶ
- ビジネスや教養系のYoutubeチャンネルの増加はそのニーズの裏付け
- また、書籍の音読サービスも人気が高い
- [MEMO]
- 繰り返しになるが、メディアの主流が新聞→ラジオ→テレビと移り変わった歴史を知っていれば別に驚くようなことではない
動画視聴は受動的だから楽
- T/O
- [MEMO]
- 文章より音声、音声より映像が楽なのは人間の身体構造的に当たり前の話である
楽は付け入る隙を与える
- 映像と文章
- 文章は登場人物の外見/声/舞台の世界などを想像する必要がある
- 映像はそれらの情報が最初から与えられている
- また、状況や感情の変化は効果音(BGM)で教えてくれる
- 画面のトーンやカット割りなどの映像表現技法も理解を助けてくれる
- つまり、映像は認知が楽ということである
- 映像表現に対する注意事項:
- 文章はそれを読んで語義や論理を解釈した上で感情が動かされる
- 映像は映像や音によって直接的に感情が動かされる側面が強い
- 極端な話、論理が破綻していても空気や熱気、雰囲気と言ったもので見る者の印象や感情を制御できるということである
- エビデンスが欠如したりしている主張も映像の見せ方によって視聴者に脳死で刷り込むこともできる
- 映画やドラマなどフィクションの視聴なら問題にはならない
- [MEMO]
- あまり賛同できない
- 文章でも人間は扇動されることは歴史上の事例を見ても明らか
- 戦前、戦争を煽ったのは新聞だったことを忘れてはいないだろうか
- 映像が扇動のツールになりやすいという点については同意
- ポピュリズム政党支持者について:
- ポピュリズム政党の支持層:
- 若い頃から読書経験が無かった中年層
- 投票先を決める際の参考情報がSNSやYoutubeに偏る層
- 明確な相関関係があると断定できないが、一定の納得度がある
- [MEMO]
- エビデンスは無いが、お気持ちでは納得という話らしい
- 彼らは何かを調べるという事はSNSやYoutubeを見ることである
- 専門書にあたったり複数のマスメディアの報道を継続的に追跡して比較検討することではない
- 何故なら、映像の方が文章より楽だからだ
- ポピュリズム政党はそれを心得ているから演説の一部などインパクトの強いショート動画を大量に発信し、感情を揺さぶり熱狂させる
- このように楽を重視したスタンスは、発信者に付け入る隙を与え、発信者の意図のままに感情を操られる危険性がある
- [MEMO]
- 要するに「テレビ(動画)ばかり見てるとバカになるぞ」という話の焼き直し
- 一理あるが、この文章自体が恐怖を煽り思考停止させるプロパガンダに成り果てている
- 言行不一致に自覚的なのだろうか?
- れいわ新選組や石丸伸二などのようにポピュリズム全振りでショート動画による露出をメインにしていた政党や政治家もいたが、結局は広い支持を得られなかった
- 結局のところ、一時的な感情的消費に過ぎないからである
- そこまで心配することはないのではないか?
- そもそも、それが危機感を覚えるほど効果的ならお好みの政党にショート動画制作指南でもすればよいのではないだろうか
- それ以前の問題として「専門書にあたったり、複数のマスメディアの報道を継続的に追跡して比較検討」すれば自分と同じ結論に至ると思っていそうな点は知性に問題がある
- 自分のスタンスに対する懐疑を失った時、知性は失われることに気づくべきであろう
- [MEMO]
- 確かに知恵の足りない層が映像で扇動されるのは事実であろう
- であるならば、やるべき事は本やら文章やらに固執するのでなく映像で啓蒙するべきだという結論になるはず
- 本が売れないだの文章が読まれないだの泣き言を言っている場合なのだろうか?
- 戦場が変わったという現実を受け入れるべきではないか?
- 本を読まない層、Youtubeに齧り付きの層を腐したところで何かが変わるというのだろうか
- 単に売文屋として自分が変わりたくない、そうして受ける不利益の理由を他者に責任転嫁しているだけではないか
- ポピュリズム政党の支持層:
マスメディアは「冗長」
- 男子学生16歳の意見:
- 既に現在では動画のように受動的に刺激や学びを得るツールが溢れている
- つまり、社会全体がその方向にシフトしている
- 能動性を求められてカロリーも使う本を手に取ることから社会が脱却しつつあるのは順当な答えなのではないか
- 電卓があるのにわざわざソロバンを使うようなものなのではないか
- マスメディアは冗長:
- 前述の16歳学生曰く、新聞/出版社/放送局は冗長なので好きではない
- 動画やSNS投稿なら5秒もかからないような内容を長々とやっている
- 要点だけ最初に出してほしい
- マスメディアを信用していないわけではないがテンポが遅く飽きてしまう
- 要するにマスメディアは「タイパが悪い」
- [MEMO]
- 文脈から察するにテレビ番組のことだと思われるが、新聞/出版社/放送局とした理由は何だろうか?
- 実際、昨今のテレビ番組は「正解はCMの後で!」的引き伸ばし手法が濫用されている印象でシンプルに構成が拙いものが多い印象
- 視聴率とCMというビジネスモデルが崩壊しつつある中、必死に数字を上げようとして顧客(視聴者)満足度から離れていってるのは事実のはず
- 自説に都合の良い印象操作をやっている印象がある
- マスメディアが冗長な理由:
- 新聞や雑誌やテレビのニュース番組は断定を避ける
- 公人に何かの嫌疑がかけられても決定的な証拠が出ない限り「クロ」とは言い切らない
- しかし、微細なファクトは各紙・各局が日々大量に報じる
- それらの膨大な細切れ情報を与えられた読者や視聴者は、頭をフル回転させて思考しなければ事態の全体像を把握できない
- あらゆる結論を自力で導く必要があり、視聴者の認知負荷を高めてしまう
- 一方で、SNSでの個人発信は文字にせよ動画にせよ簡潔に断定できるので分かりやすい
- [MEMO]
- テレビの方が優れているかのように買いているが、テレビは放送法や倫理基準に縛られているというだけの話では
- そもそも細切れの情報を垂れ流すのが悪いという話もある
- そもそも断定しないと言いながら印象操作はやっているではないか
- SNSを叩きたいあまり、テレビを不自然な形で擁護するのでおかしな論理になっている
- 活字媒体とて疑似科学/陰謀論/似非医療の界隈はエビデンス無し/根拠無しの言い切りの魔境である
- 要するにどのようなメディアであっても問題のある発信者はいるということである
- SNSの個人発信の問題:
- 発信者は結論を簡潔・断定的に語ることができる
- 論理が飛躍していようが、エビデンスが不足していようが関係なく断定できる
- 複雑な詳細を大胆に刈り取って単純な構図として再構築することも容易
- 感情を揺さぶって扇動するのに適している
- それを見る側も深く考えなくてよいので「楽」なので、それに乗る
- [MEMO]
- 既存マスコミが扇動をしないかのような言い方は牽強付会というもの
- あらゆるメディアは偏向していることが前提なのだ
- これでは「自分達の思い通りに扇動できなくて悔しい!」と言っているだけである
- マスメディア(新聞・雑誌・書籍・テレビなど)で発信される情報:
- 情報量が多く、断定を避ける論調が多い
- 理解して意見を決めるには文脈を読み解く労力を要する
- 結論を出すためにはたくさんのインプットを必要とする=タイパが悪い
- ソーシャルメディア (各種SNSやYouTubeなど)で発信される情報:
- 個人が簡潔な言葉で断定することが多い
- 構図が単純化されて話されるため、理解しやすい
- 少ないインプットで結論を得られる = タイパがいい
- 現代人と情報:
- 「自分で考えるべき」という正論はあるが現代人は情報を深く吟味する時間も余裕もない
- 思考には膨大なエネルギーが必要だが、それは生活に余裕のある人の特権だである
- だから人々は、善悪が明快で敵が明確な「わかりやすい物語」に飛びつく
- 短尺動画はその需要に最適なメディアとなる
- [MEMO]
- そもそもメディアとは情報を分かりやすく大衆に届けるのが仕事ではないだろうか?
- オールドメディアが情報を分かりやすく伝えられない体質や構造に問題があるのではないか?
- 自分達の不作為を他の何かに責任転嫁してはいないだろうか
- そのような浅ましさが透けて見えるから支持を失っているのではないか
動画偏重で「ふいんき」「永遠と」がはびこる
- 動画偏重による語彙の偏り:
- 情報取得手段が動画に偏ると、話し言葉中心の語彙しか形成されない
- 読書習慣のない人に対して、本を読む習慣のある人が衝撃を受ける事例がある
- 日常会話で「矛盾」という語が通じない
- マネージャー職を目指す人がYouTubeのみで学習し、書籍を参照するという発想を持たない
- 書き言葉の衰退と社会的認識:
- ネット上では、書き言葉を会話で使用すると「変人扱い」されるという報告が散見される
- 「極めて」「すなわち」「ないし」「いまだに」「化学」などの語が対象となる
- 「いい大人なのに書き言葉を知らない」という状況が頻繁に見られる
- ネット上では、書き言葉を会話で使用すると「変人扱い」されるという報告が散見される
- 読み間違いの定着メカニズム:
- 動画は話し言葉であるため、読み間違いや言い間違いが許容され定着しやすい
- 「雰囲気」を「ふいんき」と読む
- 「延々と」を「永遠と」と書く(SNSで頻繁に見かけられる)
- スマートフォンの予測変換機能が誤読の定着を助長する
- 誤った読み方で入力しても正しい単語が候補として表示されるため、誤読が訂正されない
- [MEMO]
- なのでバカはきちんとバカにする事が重要になってくると思われる
- バイト敬語的な謎の言葉遣いもこの問題に含まれそう
- 動画は話し言葉であるため、読み間違いや言い間違いが許容され定着しやすい
- 誤りの指摘に対する反知性主義的反応:
- 読み間違いや誤用を指摘された際、素直に訂正せず不快感を示す者が少なくない
- 反論:
- 「通じるからいい」
- 「みんな使っている」
- 「言葉ひとつで細かいことを言うな」
- 「難しい言葉を使ってマウントを取るな」
- こうした反応は反知性主義の典型的な現れである
- [MEMO]
- 反知性主義の使い方はこれであってるのか?
わかりやすくなければ、読まれない
- 文章によるコミュニケーションの不可避性
- 動画がテキストより優勢になりつつあるインターネット上においても、文章で何かを伝える行為は日常生活の多くの場面で避けられない
- すべてをイラスト・漫画・動画に置き換えることも、すべてを短文化することも不可能である
- [MEMO]
- 確かに複雑な概念を全て短文に還元するのは難しい
- 一方でそれに甘えるのは筋違いである
- 「わかりやすさ」への傾倒とその背景
- 読んでもらうために「わかりやすくする」方向へ全振りする努力が払われている
- ある男子大学生(将来の目標は教師)の意見:
- 同じ内容であっても、本よりインターネットのほうが言葉遣いに馴染みがあり納得しやすい
- Z世代に適応したネット記事の方向性
- ジャーナリスト・斉藤友彦は、Z世代が冒頭から情報量や固有名詞の多い新聞スタイルを否定する現実に直面した
- その最終解答は「読者を迷子にしないよう、手を取って文末まで導く」こととされる
- 「結論の断定」という手法とその実態
- 筆者の解釈では、読者を導くとは「結論を断定すること」を意味する
- ウェブメディアからの寄稿依頼では、賛否を記事内で断定するよう求められることが頻繁にある
- 特に世論が二分する社会問題を扱う際に高頻度でこの要求が生じる
- 一方で、あえて意見を表明しない手法もある
- 両論併記やフラットな状況記述によって読者を特定の立場に誘導しないことを意図する場合
- 直接的な表現を避け、皮肉やほのめかしによって伝える場合
- [MEMO]
- 仄めかしは十分に思考誘導なのだが
- ここは根本的な思い違いがあるように思える
- 明文化しなければ「断定ではない」という解釈や言い訳をしているのではないか?
- 活字を読まない読者とて「この文章の筆者は暗にこういう結論に誘導したいのだろうな」程度のことは察するのである
- そのような自分の結論を明示せず読者を誘導しようとする文章が嫌われるのは当たり前である
純文学でオープンエンディングが許されない
〈わかりみ〉=思考の停止、〈おもしろみ〉=思考の開始
- TBW
〈わかりみ〉=コスパ重視、〈おもしろみ〉=コスパ度外視
- TBW
「朝の読書」は読書習慣をつけない?
- TBW
朝読は「現在の読書習慣とはまったく関係ない」
- TBW
「スマホのせいで読まなくなった」と主張する若者たち
- TBW
親の本棚=文化資本
- TBW
長い文章を読めるのは特殊能力
- TBW
第3章 本と出合えない人たち
何を読んでいいのかわからない
- TBW
書評って何ですか?
- TBW
本の情報は勝手に降ってくる短尺動画で取る
- TBW
無料抜粋記事で本と出合えるか
- TBW
切り抜きで満足してしまう人たち
- TBW
「いいね」する人と本を買う人は別
- TBW
テキストを「安く」しているのは誰なのか
- TBW
動画を好む客に本を売る
- TBW
20年で新書の初版部数は半分になった
- TBW
活字本の電子版は出合いの場に乏しい
- TBW
続巻商売ができない活字の本
- TBW
「安くする」しかプロモーション方法がない
- TBW
活字の本を読む大学生は電子を好まない
- TBW
電子コミックは「所有するほどでもない人たち」のニーズを満たす
- TBW
活字の本は電子のメリットを享受できない
- TBW
第4章 本屋に行かない人たち
「売れない服は店頭に置かないじゃないですか」
- TBW
検討コスト、思考コスト
- TBW
書店は美術館レベルでレアな存在
- TBW
雑誌を買う大学生は1割もいない
- TBW
普通の人間の生活で、本棚は部屋の真ん中にない
- TBW
業界の商慣習なんて「知らんがな」
- TBW
本屋は「余裕のある人」しか行かない場所
- TBW
富裕層向け化する本
- TBW
「本が好きな私が好き」という自意識
- TBW
独立系書店とシェア型書店という選民的空間
- TBW
文脈が不快な「圧」になるとき
- TBW
「本好きがつながれる場所」という島宇宙
- TBW
好事家が懐古趣味的な興味を満足させる場所
- TBW
終章 紙の本に集う人たち
「こんなものを読書と呼ぶな」
- TBW
「読者」的集団と「消費者」的集団
- TBW
生成AIによって文章が「安く」なっている
- TBW
もうすぐ絶滅するライターという職業について
- TBW
紙の本は多様な利益を長期的に呼び込む「資産」
- TBW
紙の本には権威と信頼性がある
- TBW
究極の自己実現手段である紙の本
- TBW
ファンは「コンテンツ」ではなく「キャラ」につく
- TBW
紙の本の所有は継続性の高い顧客を育む
- TBW
読書行為はラテン語化し、読書能力はレガシー化する
- TBW