なぜ、脳は神を創ったのか? (苫米地英人)
書籍情報
- 著者:苫米地英人 (著)
- 発行日:2010-06-04
- ISBN:9784894518155
- URL:https://www.forestpub.co.jp/author/tomabechi/book/S-0015
書籍目次
- はじめに
- 序章 なぜ、脳は神をつくったのか?
- 神様を必要とする人々
- 戦争は国家の外交権のひとつ
- なぜ、宗教は人を殺すのか?
- 「利益教」からの脱洗脳
- 第1章 人はなぜ神を必要とするのか
- 神とは何か?
- 神は脳によってつくられた
- プリウスの鉄板を見た!
- 霊感特殊能力があると主張する人は100%オカルト
- 明治以前の日本には宗教という概念がない
- 人間は完全情報を求めて信仰心を抱く
- なぜ祖先崇拝が生まれたのか?
- 死への根源的な恐怖
- 宗教から権力支配へ〜宮本武蔵は催眠術師〜
- 信仰心から国家が生まれた!
- 「そんなものは、言語現象ではない」
- 「宗教学が対象としない宗教現象」は宗教ではない!?
- 「魔女狩り」と「死海文書」
- 消えていった敗者の宗教
- 資本主義もマルクス主義も宗教現象
- 第2章 宗教と統治力
- 政教一致だから世界秩序が保たれた!
- スピリチュアルブーム〜占いも宗教の一形態〜
- キリスト教
- イスラエルのヒルトンホテル「汝、母の乳で子の肉を煮るなかれ」
- 宗教の自由を求めて生まれたアメリカ
- エノラゲイに乗っていた
- 人目の人物
- 宗教戦争
- アメリカがナチスドイツに原爆を落とさなかった理由
- ケネディ大統領、キング牧師が殺された理由
- 俺の女をとりやがって教
- 「お国のため」という宗教
- 宗教家にこころから悪い人はまずいない。でも権力者に極悪人がいる!
- 第2章 神は存在するのか?
- 神は本当に存在しないか?
- 認知科学以前と認知科学以降のリアリティー
- ヴェルナーハイゼンベルクの不確定性原理
- 量子論によって「この世には真空がない」ことが証明された意味
- いずれ人類は宇宙さえも創る
- 量子論と「空」
- 東京タワーからハンカチを落として、落ちる場所は絶対にわからない!
- ユークリッド幾何学の誤解
- ゲーデルの証明不能命題
- 1991年は神が正式に死んだ年
- ゲーデル、チャイティンの最期
- 第4章 西洋のキリスト教と東洋の仏教
- アプリオリ
- 釈迦は王侯貴族
- 釈迦の思想
- 毒矢のたとえ
- 釈迦は暗殺された?
- お経を唱えることには意味がない
- 2000年前の上座部仏教の煩悩
- 釈迦はマントラを否定した!
- 仏教は日本へどう伝わったか?
- 釈迦の教えはハードコア
- 中沢新一とオウム真理教
- 浄土は涅槃への中間地点
- なぜ、南無阿弥陀仏と唱えるのか?
- 宗教は、この21世紀には不要
- 第5章 神宗教から自由になる方法
- 従工場牧師
- 宗教の積極的ビジネス介入
- 政教一致による自由
- 完全に自由になるために
- 餓死する人間が1人もでない世界
- 2世議員と差別
- 権利と義務はひっくり返っている!
- 共産主義圏と資本主義圏
- 納税のシステムはいらない!
- 国会議員と公務員の仕事の対価は無給!
- この世に唯一絶対の価値の尺度はない
- おわりに
- 他人の価値観を捨て、自分の価値観で生きろ!
- コンフォートゾーンの外側に立て!
- 空
序章 なぜ、脳は神をつくったのか?
神を必要とする人々
- 人間の悩みの三類型:
- 事業の窮地
- 人間関係の苦悩
- 治らない病気
- 社会のどこにでも転がっている悩みだが、先の見えない当人にとっては深刻以外の何物でもない
- 信仰心の芽生え:
- ある者は立ち直り、ある者は挽回かなわず敗れていく
- 九死に一生を得てどん底から這い上がった人には、それをきっかけに信仰心を持つケースが多い
進化しない宗教認識
- 二千年、二千五百年の時間:
- 西洋ではキリスト誕生からおよそ2000年、東洋では釈迦が仏教を唱えてからおよそ2500年がたつ
- 宇宙136億年の歴史から眺めればわずかな時間だが、人間にとっては非常に長い進化の時間である
- この間の人間の達成:
- 農耕を発達させ、学問を進歩させた
- 国家という概念を生み出し、戦争をくり返し、爆発的な工業化を遂げた
- 宗教認識だけが停滞:
- 宗教についての人間の認識は、2000年前や2500年前に比べ決して進化したとはいえない
20世紀後半のコペルニクス的転回
- 神をめぐる転回:
- 20世紀後半、神の存在をめぐってコペルニクス的転回が起こった
- 知らされなかった事実:
- 私たちの大半は、その事実も社会への大きな影響もはっきりと知らされることがなかった
- その結果、21世紀を20世紀までの古い考え方で、20世紀の延長であるかのように生きようとしている
信仰心の根源と政治利用
- 根源的な信仰心:
- 人間は根源的に信仰心を持っている
- 不完全な自分には計り知れない未来や死への恐怖を、なんとしてでも克服したいと願う心に根ざす
- 困難時の心情との類似:
- 事業、人間関係、病気という困難に立ち向かうとき、人が変わったように自分を捨てる心情によく似ている
- 信仰心の政治的利用:
- 信仰心それ自体は悪いものではない
- 不幸なことに、人間本来のその心のメカニズムは宗教にのみ向かわず、政治によって利用されている
- [MEMO]
- 人間集団があれば政治が発生するのは当然のこと
- 政治に利用されない信念体系があると信仰するのもまた愚かなこと
戦争は国家の外交権か
- 教科書の論理:
- 教科書には、戦争は国家の外交権のひとつだと書いてあった
- 相手国が権利を侵そうとしている場合、国家は紛争解決の手段として戦争をしてよいことになる
- 論理の破綻:
- やむをえない場合には戦争や人殺しをしてもいいというのは、非常におかしな論理である
- [MEMO]
- 何がどのようにおかしいのか説明できていない
- 論証もなく唐突に宣言しているので、これは著者の信念・信仰の類である
- 戦争は利益追求の手段:
- 歴史的に見れば、戦争は国家にとって常に利益追求の手段であった
- 第二次大戦のドイツ、日本、イタリアも、戦った連合国も、莫大な利益が手に入るからこそ実行した
- 攻められたから攻め返したという現象の裏には、巨額の利益をどう導くかの計算が常に働いている
- 儲かりもしないのに義憤にかられて参戦し、国民の生命と財産を浪費する国などない
- [MEMO]
- 国家に永遠の敵も永遠の友もおらず、あるのは永遠の国益だけ
- 帰結:
- やむをえない場合は戦争に訴えてよいとは、国家が利益のため罪もない人々を巻き添えにしてよいという理屈である
- [MEMO]
- 国益の確保は直接国民の利益に繋がることを無視している
- 国家の利益を放棄することは意思決定層の思想に国民を巻き添えにしてよいという理屈である
- 結局、利益以上のナニカがあると信じることも著者の信仰告白に過ぎない
- バラモン左翼的と言うべきか
正当防衛という物語
- 一見もっともらしい理屈:
- 何もしなければ殺される極限状況の人間が究極の手段に出るのも無理はないと考える人がいて不思議はない
- ドラマと現実の乖離:
- 殺そうとしたほうが悪、正当防衛したほうが善という話は現実にはほとんどない
- ドラマでは視聴者が主人公に感情移入しないと成立せず、もっともらしい理由を入れる動機が潜む
- 実際の事件の構図:
- 殺されそうになったので殺したという殺人事件は、金銭、利権、異性関係が絡んだものが99.99パーセントである
- 利権獲得のため相手をさんざん挑発し、追い込んでいるケースはざらにある
- 相手が殺しにくるよう仕向け、今度はそれを理由に相手を殺す
- [MEMO]
- 99.99%という数字のソースは提示されていない
- これも著者の信仰ではないか?
- 隠された闇のストーリー:
- 殺し殺される極限状況にいたるまでには、当人たちにしかわからない闇のストーリーが隠されている
- 実際の事件では、いずれの側にも相手を亡き者にして何らかの利益を得る動機が潜んでいる
- 正当防衛なら人を殺していいという理屈が成り立つのか、あらためて問わなければならない
- [MEMO]
- ロシアのウクライナ侵攻でこのような論説は説得力を喪失した
- 殺さなければ殺される状況は発生しうるし、そうなれば殺さなければ生き残れない
- どっちもどっち論を並べたところで何の意味も無い
宗教的狂信と中絶医射殺
- 利益のための殺人と狂信の同一性:
- 利益のために邪魔な人間を殺してもいいという発想は、実は宗教的な狂信と同じである
- [MEMO]
- 野生動物は自分のナワバリに侵入した別個体を殺すことで自らの利益(餌場の権益)を守るものだが、これも宗教なのだろうか?
- 本能的な振る舞いまで宗教に還元していくのは言葉の定義を無用に拡大しているように思える
- アメリカ南部の事件:
- 原理主義的なキリスト教徒が妊娠中絶手術を行う産婦人科医を射殺する事件が後を絶たない
- 彼らは、生まれてくるはずのキリスト教徒を堕胎させる産婦人科医こそ殺人者だと主張する
- 産婦人科医は神の教えに背き、キリスト教ひいては国家の利益を損なっているのだという理屈である
- 論理の卑怯さ:
- 神の教えを守るというなら、なぜ法律で中絶を禁止するよう議会に働きかけないのか
- 背教者を殺すことを認めるなら、なぜ産婦人科医でなく国会議員や大統領を撃ち殺さないのか
- 自分たちがやられるからじわじわ圧力をかければよい、という発想がそこにある
- [MEMO]
- 中絶反対派の政治家に献金を送り、ロビー活動を精力的にやっていることを無視していないか?
- 条件闘争の道具:
- 産婦人科医の命は、彼らにとって条件闘争の道具でしかない
- 神への冒涜や国家的損失を口実に、より弱い立場の人間を生贄にして利益誘導を行っているだけである
- イエス・キリストがこのようなことを実行せよと教えた事実はどこにもない
- [MEMO]
- そのロジックだとイエス・キリストが中絶を認めたこともない
利益教と利益崇拝
- 遺伝子に刻まれたタブー:
- 戦争や人殺しをする人たちは、利益のためならそれを行ってよいと非常に強く信じている
- 殺しのタブーは遺伝子に強く刻み込まれた情報であり、利益という浅薄な理由で破られるほど弱くはない
- [MEMO]
- それこそ神話や信仰の類ではないか?
- 叩き込まれた価値観:
- それでも戦争や人殺しが絶えないのは、利益のためにはそうすべきという価値観を強烈に叩き込まれた証拠である
- その行為は自爆テロと同等レベルの、強烈な宗教的行為といわなくてはならない
- すなわちそれは「利益教」であり、「利益崇拝」である
- [MEMO]
- 因果関係が逆な気がする
- 先進国で戦争や人殺しに対する忌避感が強いのは、そうあるべしという価値観を強烈に叩き込まれるからでは
- そういった価値観に触れることがない地域ではカジュアルに殺人は起こるのでは
- 例えば、イスラム教では名誉殺人が盛んだが、これは名誉は命よりも重いという価値観を叩き込まれるからだろう
- 現代社会への蔓延:
- 文明が花開き知的レベルも上がったかに見えながら、利益教の妄信がいたるところにはびこっている
- このことが世界の有り様を理解する目を曇らせ、人間が進むべき方向を見失わせている
- [MEMO]
- 人間に進むべき方向があるという発想自体が一種の信仰ではある
神の不在と脱洗脳
- 神はもういない:
- 現代の世界には、もはや神はいない
- 物理学や数学をはじめとする科学の発展は、明確に神の不存在を証明した
- 20世紀末には宗教学者でさえ「神は存在しない」と定義した
- 信仰心そのものは否定しない:
- 人間が抱く信仰心を否定しようとは思わない
- よりよく21世紀を生きるには、神、宗教、信仰について、きれいに整理をつける必要がある
- それなしには、大きな時代の節目であるこの困難な時代を迷わずに進めないと不安に感じる
- [MEMO]
- 不安を解消する為に無神論という新しい宗教に帰依していると言われても否定できないロジックでは
第1章 人はなぜ神を必要とするのか
神とは何か?
- 本書における神の定義:
- 神とは完全なもの
- 万物を創造し、過去も未来も全て知る存在
- 神が存在する場合:
- 「神のメッセージ」を脳で受け取っていることになる
- 神が存在しない場合:
- 脳が作り上げた情報
- 幻覚や幻想に近い情報
- [MEMO]
- 脳ではなく魂が云々という方向に話を持っていかれると再反論できないのでは?
- 「魂が無い」ことは証明できない以上、不可知論に足を踏み入れることになり千日手である
神は脳によってつくられた
- 神が存在していると主張する場合の有り得るパターン:
- (1) 本物の神が存在し、それを特殊な能力で認識している
- (2) 本物の神は存在せず、神が存在すると自分で思い込んでいる幻想
- (3) 本物の神は存在せず、神が存在しているという情報を他人によって埋め込まれた洗脳
- いずれのケースにも共通するもの:
- 脳が作った情報であるということ
- いずれのパターンでも「神」情報が脳にインストールされた結果、生じた情報であるということ
- [MEMO]
- 特に異論はない
プリウスの鉄板を見た!
- 「神は脳が作った」に対する反論:
- 「いや、私は神を見た」
- 「私が見たのだから、私が正しいのだ、あなたは間違っている」というロジック
- 正確に認識しているとは限らない:
- 表層的な理解・認識に留まる可能性は否定できない
- そもそも人間の認識はいい加減である
- プリウスの例示:
- 走行しているプリウスを見てもプリウスの全てを理解できているわけではない
- ハイブリッドエンジンの仕組みや各種メカニズム、設計思想まで一目で理解できる人間はいない
- 理解できているのは鉄板がプリウスという形をしていることだけ
- 「神を見た」という人も同じで、神の全てを理解したわけではない
- [MEMO]
- 無知の知
- とはいえ、検証不可能である
- 客観的な現象・存在として顕れない以上、比較や分析ができないので「本当に理解しているのでは?」という反論に対抗できない
霊感特殊能力があると主張する人は100%オカルト
- 神概念についての結論:
- 脳からすると自分が作り出したものであれ、他人が作り出したものであれ、何が由来であろうと関係ない
- いずれにしても脳にインストールされた概念を脳がリプレイしているだけである
- 本物の神が存在しようがしまいが、それは人間の脳が作り出した情報に過ぎない
明治以前の日本には宗教という概念がない
- 宗教学における宗教の定義:
- 「超越的な存在(神)についての信念などの観念であり、その観念体体系に基づく教義、儀礼、組織を備えた社会集団」
- 宗教学における神の定義:
- 「宗教がその中心に置く観念」
- 宗教と神の定義が循環している:
- 宗教を定義するのに神を持ち出し、神を定義するのに宗教を持ち出している
- 完全にトートロジー
- [MEMO]
- これは意図的なものだと思われるが
- 明治以前の日本には宗教は無かった:
- 宗教という概念は明治以後に海外から輸入された
- 日本人は自分達のやっていることを西洋的な意味での「宗教」だと認識していなかった
- それは「信仰」という形で存在していた
- [MEMO]
- 言葉遊びのように思える
- そもそも仏教も中国から伝来したものであるが
- 「西洋的な意味での宗教」についての説明が無い
人間は完全情報を求めて信仰心を抱く
- 人間が信仰心を抱く理由:
- 人間は生きていれば、自分が不完全な存在であることや己の無力さを自覚せざるを得ない
- この時、この宇宙を創った完全なる存在を想定し、そこに畏怖や憧憬を抱く
- 己は無力だがどこかには「完全な存在」がいるに違いない・いて欲しいという願望
- これらが信仰になり、それに近づく為に様々な儀礼や祭祀が誕生した
なぜ祖先崇拝が生まれたのか?
- シャーマニズムに基づく信仰心の醸成
- 自然崇拝、精霊崇拝を基本とするアミニズム
- 精霊崇拝の根底に祖先崇拝を持つ
- 祖先崇拝:
- 死んだ祖先が生きている者に影響を与えるとする信仰
- 自分の持つ精神や魂が祖先から受け継がれたものと考える
- 自分の父祖は特別な存在であり、その父祖もまた特別な存在であるというように自分のルーツの連続性に対する崇敬
死への根源的な恐怖
- 死の恐怖は普遍的:
- 死の恐怖は脳の大脳辺縁系などに刻まれた根源的な恐怖
- ほとんどの生物は死を恐れる
- 死を恐れない生物は速やかに絶滅してしまう
- 死に対するストーリーの渇望:
- 人間はいつもは死について深く考えないようになっている
- 死について常に考えていると何も出来なくなってしまう
- しかし、身近な人間の死によって強制的に死を意識する瞬間はある
- そのような時、恐怖心を和らげるため死についてのストーリーを求めてしまう
- 宗教は死に対するストーリーを提供する(死後の世界、天国と地獄、輪廻転生、死後の復活etc...)
- そのストーリーに納得できたものは宗教の信者になる
宗教から権力支配へ〜宮本武蔵は催眠術師〜
- 信仰から権力へ:
- 社会システムとして発展すると、権力が生まれ統治・支配の力関係が働き始める
- ストーリーテリングの上手な人、血脈の正統性を持つ人、幻覚を見せる技がうまい人などが権力を握った
- 超人的能力は「技」:
- 教祖は自分の話が完全情報だと言っているだけで、証明したわけではない
- 雨を降らせた巫女や祈祷師も、気象に通じていて降雨の方法や時期を知っていたにすぎない
- いずれも完全情報ゆえの能力ではなく、人心を掌握する巧みな「技」である
- 宮本武蔵は催眠術師:
- 知人の催眠術師は、宮本武蔵の肖像画がどう見ても催眠術師の姿に見えるという
- 戦国時代から江戸初期の剣豪の多くが、剣術と同時に妖術を使ったことを示す断片的資料が残っている
- 剣が強かった人は瞬間催眠に秀でていた可能性が高く、信長や家康も催眠術師だった可能性がある
- 信仰から生じる権力も社会に君臨する権力も、根っこにあるのは催眠術に分類できる「技」である
- [MEMO]
- ちょっと何を言ってるのかわからない
信仰心から国家が生まれた!
- 信仰心→権力→支配→国家:
- 信仰心は権力を生み、権力は支配を生み、支配は秩序とさまざまな社会システムを生み、国家が生まれる
- 信仰心があれば「罰が当たる」という規律が生まれ、多くの宗教が悪事をすれば地獄に落ちると教える
- 社会は安心して暮らすために信仰心を必要とし、それが権力をより強固にした
- 歴史上の例:
- 秦の始皇帝が広大な中国を統一できた権力の源泉は、民衆の信仰心だった
- 信長が一向一揆を恐れて弾圧したのは、一向宗の信仰心が圧倒的な権力を生み出すことを恐れたからである
- 現代社会の大前提:
- 現代の高度な政治・経済・社会システムのすべては、人間の信仰心や宗教を大前提に構築されてきた
- 科学はすでに「神は存在しない」という解を導いており(3章で詳述)、宗教とは催眠術のようなものである
- 巧みなストーリーテリングや幻覚を見せるワザは、超自然的な力を信じ込ませる技術である
- 一度脳にインプットされると、神の情報が真実か否か、出所がどこかは無関係になる
「そんなものは、言語現象ではない」
- 宗教学者からの反論と著者の立場:
- 西洋的な宗教の定義や定説を無視しているとして、宗教学者から強い反論が寄せられる
- 言語の成り立ちと言語学の関係は、信仰心の成り立ちと宗教学の関係によく似ている
- 言語と言語学の歴史の差:
- 農耕が約1万年前に始まったことから、言語にも1万年ほどの歴史があると考えられる
- しかし音声言語しかない時代のことは現物が残っておらず、言語の成立過程は何もわからない
- 一方、言語学の歴史は100〜200年程度しかない。宗教と宗教学についても同じことがいえる
- チョムスキーの高弟とのエピソード:
- 著者はカーネギーメロンの大学院で、チョムスキーの高弟に指導を受けていた
- 「太郎が花子に本をくれた/あげた」における話者の視点移動(久野すすむ教授のエンパシー理論)を修士論文にしようとした
- 教授は「そんなものは、言語現象ではない」と強く反対し、著者は断念せざるをえなかった
- 統語論を対象とするチョムスキー言語学では、視点移動は言語現象とされなかった
「宗教学が対象としない宗教現象」は宗教ではない!?
- 宗教学の本末転倒:
- 宗教学は「宗教学が研究対象としているものを宗教という」立場をとり、対象外の宗教現象は宗教ではないことになる
- 宗教学はもともと神学の一部で、キリスト教・ユダヤ教の歴史に由来し、西洋的な定義が埋め込まれている
- 釈迦の縁起の思想は、葬式はやるな、あの世はない、神はいない、魂はないという無神論であり、宗教学の対象に入るとは言いがたい
- しかし神という概念を否定することも、ひとつの宗教現象である
- 歴史は勝者の記録:
- 歴史は常に勝者が書き残した記録であり、敗者の記録はほとんど残らない
- 例:日中韓の教科書問題で、敗者である日本側の主張は連合国側に歴史として認められない
- 宗教も同様で、現存するのは勝者の宗教であり、敗者の宗教の記録はことごとく抹消された
「魔女狩り」と「死海文書」
- 魔女狩り:
- 中世ヨーロッパで火刑に処された魔女たちは「異端者」で片づけられた
- 本当は独自の教義や宗教体系を持っていたはずだが、すべて抹消された
- 死海文書と外典:
- 死海文書は1947〜56年にクムラン周辺の11の洞窟から発見された約800巻の文書で、外典も含まれる
- 公開の遅れからバチカンを揺るがす内容があるとの憶測が起き、1995年に全文書が公開された
- しかし全文書公開の根拠はなく、バチカン地下には今も外典が眠っているという嫌疑が残る
- 教義の純粋化を進める過程で、都合の悪いことは消去されてきたに違いない
- [MEMO]
- 外典や偽書というのはそういうものである
- 輪廻転生の排除:
- 原始キリスト教には輪廻転生の概念があったが、553年のコンスタンティノープル公会議で投票により聖典から外された
- 輪廻転生を信じる勢力は、多数派によって敗者の立場に追いやられた
- [MEMO]
- 輪廻転生ではなく復活の方が信徒への訴求性が高かったのだろうか
消えていった敗者の宗教
- 敗者の宗教は宗教学の対象外:
- 死海文書にはイエスが学んだエッセネ派の信条が含まれ、当時もさまざまな宗派が存在していた
- 膨大な数の宗教が生まれ、そのほとんどが敗者として消え、イエス以外の預言者も記憶から消え失せた
- 宗教学とは、デファクト・スタンダードとして勝ち残った宗教の特徴を研究する学問であり、チョムスキー言語学と同じ構図である
- 宗教現象は脳に組み込まれている:
- 宗教学の宗教を離れて宗教現象として見ると、それは人間の脳に組み込まれた現象だという結論になる
- 脳はよく幻視・幻聴・幻覚を起こし、見ているつもりの対象も過去の記憶から似たデータを引き出しているだけのことが多い
- 脳には情報空間を物理空間と同じようにリアルに感じるカラクリがあり、記憶を繋ぎ合わせてリアルな幻覚をつくりだす
資本主義もマルクス主義も宗教現象
- 宗教現象の範囲:
- 脳が自らのカラクリを通じて「完全な存在」だと信じ込む対象は、すべて宗教現象である
- 世界4大宗教だけでなく、釈迦の無神論、スピリチュアリズム、血液型占いや星座占いも宗教である
- 「信じればいいことがある」と脳に働きかけ、科学的根拠のないことを唯一の価値として受け入れさせるものはすべて宗教である
- 資本主義とマルクス主義:
- 資本主義は、お金という完全情報に憧れ不変の価値を見いだす脳内現象であり、お金を唯一絶対の価値とする宗教現象である
- マルクス主義は資本主義に対抗する宗教現象であり、労働を唯一絶対の価値とする
- 政治・経済・社会システムが信仰心の上に築かれてきたことを考えれば、その連関が見えてくる
- まとめと次章への導入:
- 宗教とは催眠術のようなものであり、神は脳がつくった情報にすぎない
- 次章では、現代社会を成り立たせている宗教現象とは何かを掘り下げる
第2章 宗教と統治力
政教一致だから世界秩序が保たれた!
- 宗教と政治の力関係の変容:
- 信仰心が権力と社会秩序を生み出したこと自体には、特に問題はなかった
- 宗教と政治という2大権力が拮抗することで世界秩序のバランスが保たれ、人類は進化・発展できた
- しかしあるときから、互いに利用し合う関係から、政治が宗教を従属させ目的達成の道具として利用する関係へと変容した
- 霊の存在を政治が利用する:
- 「祖先の霊があなたを守っている」というシャーマニズム的な祖先崇拝は、子どもを安心させるために語り継がれてきた
- 政治はこの「霊がいる」という文化的幻想を意図的・徹底的に世の中に浸透させていく
- 理由は、それが国民に束の間の安らぎを与えるからであり、それは麻薬による一時的な解放感のようなものである
- 一時しのぎの安らぎをくり返し与えられた人々は、苦境を打開する意欲や能力を失い、苦境を当たり前と考えるようになる
- 破局が見えていても回避しようとせず、訪れれば「それも運命だ」と受け入れる。こうした人々が増えることは国家に好都合である
- [MEMO]
- 宗教が統治に効果をもたらすのは殉教とか殉死の文脈だと思うのだが
- 何も考えずに戦って死ぬことが宗教的な誉という価値観
- 祖先崇拝を政治利用はあまり想像できない
- キリスト教的な清貧思想が貧乏であることを肯定するという働きもあるが、やはり祖先崇拝とは関係ない
スピリチュアルブーム~占いも宗教の一形態~
- 日本の占い番組:
- 日本ではスピリチュアルブームが社会の隅々に伝播しつつある
- 毎朝のテレビで血液型や星座占いが放送されるが、それが人生に影響を与える科学的根拠は何もない
- 占いは宗教の一形態であり、公共の電波で流すことは放送法の趣旨や憲法の信教の自由からいって問題がある
- 重大事はニュースでさえ取り上げないのに占い番組だけは毎朝流されており、これを恐ろしいと感じないなら日本人の理性は骨抜きにされている
- [MEMO]
- 占いがくだらないのは同意するが、日本人の理性が骨抜きになっているかは因果関係や関連性が謎
- アメリカのスピリチュアル喧伝:
- ハリウッドでは『シックス・センス』『ギフト』など霊体験を題材にした映画が多く、オカルト作品は膨大な数に上る
- 2005年にはNBCで「ミディアム――霊能力捜査官」が放映され視聴率を稼いだ
- リーマン・ショックの後遺症に苦しむ国民の関心を霊的存在に向けることは、経済的困窮から目を逸らす好都合な材料である
- 一神教のキリスト教国では霊的存在の肯定は本来許されず、それでも関心が高まっているのは意図が働いているからと考えるべきである
- [MEMO]
- 唐突な陰謀論
- ちょっと何を言ってるのかわからない
- 著者の「そういう信仰」という印象しかない
キリスト教
- アメリカのキリスト教原理主義:
- アメリカ人にとってキリスト教は絶対的な存在であり、原理主義的なキリスト教の力がきわめて強い
- 支配層のほとんどはプロテスタントであり、プロテスタントはカトリックより厳しい戒律を持つ
- プロテスタントの源流はピューリタン(清教徒)であり、彼らはイギリスのピューリタン革命を主導した
- ピューリタン革命と宗教改革:
- ピューリタン革命は1641年に始まり内乱に発展したが、1660年の王政復古で幕を閉じた
- ピューリタンは国民の経済的苦境を打破するため、教義に忠実な政治を求めて教会権力に反抗した
- その源流はカルヴァンやルターの宗教改革であり、堕落した教会権力が社会を乱すと考え、聖書を唯一の源泉とする政治を主張した原理主義運動だった
- 背景には、聖書による"法治"ではなく王権の恣意的な"人治"による統治への反発があった
- アメリカへの移住と原理主義:
- 敗れたピューリタンたちは新大陸に渡り、そこで理想を実現しようとした
- 電気やガソリンを使わずに暮らすアーミッシュの存在を許容する点に、キリスト教原理主義を尊重するアメリカの価値観がある
- 中絶手術を行う医師を撃ち殺すこともいとわない南部のプロテスタントがいるのも、この価値観による
- 原理主義者にとって霊の存在を宣伝する映画やテレビは言語道断であり、中世なら制作者は火あぶりにされていただろう
イスラエルのヒルトンホテル「汝、母の乳で子の肉を煮るなかれ」
- ニューヨークとイスラエルのユダヤ人の違い:
- ニューヨークでは教義に沿った伝統的な出で立ちのユダヤ人をすぐに見かけるが、イスラエルではほとんど見かけない
- ヒルトンホテルでの体験:
- 著者がテルアビブのヒルトンでハンバーガーとコーヒーを注文すると、いつまでも出てこなかった
- そこはユダヤ教の教義どおりに調理するコーシャーのホテルで、聖典の「汝、母の乳で子の肉を煮るなかれ」によりラビが肉とミルクを同じプレートに置くことを禁じていた
- プレートを分けることで提供されたが、マネージャーは「提供したことを誰にも口外しないでほしい」と頼んだ
- 一方、イスラエルのユダヤ人の友人宅では肉もミルクも同じキッチンで調理し、教義違反に目くじらを立てる人はほとんどいなかった
宗教の自由を求めて生まれたアメリカ
- マネージャーの懸念の理由:
- ニューヨークのコーシャーキッチンでは厳格な調理法が守られ、教義を破れば信用を失い店が潰れる。ニューヨークのユダヤ人は原理主義者である
- マネージャーは教義違反の噂が広まり、巡礼に来るアメリカのユダヤ人がホテルを利用しなくなることを恐れていた
- アメリカのユダヤ人はイスラエルの人口とほぼ等しい700万人にのぼり、金持ちや有力者が多く影響力が大きい
- 「宗教の自由」の意味:
- ピューリタンが求めた宗教の自由とは宗教の原理主義であり、より厳格に教義が適用される社会である
- 日本人は宗教的束縛から逃れることと誤解しがちだが、実際は世俗を離れ、厳格な教義に基づく社会秩序を維持することである
- そうしてできた国の考え方がアメリカの民主主義・自由主義であり、人権を説きながら医師を撃ち殺す、核を保有しながら核廃絶を説くといった矛盾も、彼らの中では整合性がとれている
- ユダヤ人がアメリカに一大拠点を築いたのも、アメリカが「宗教の自由」を追求できる宗教原理主義の国だったことが見逃せない
エノラゲイに乗っていた13人目の人物
- 政治的意図への疑念:
- 原理主義的なアメリカで霊やスピリチュアルを題材にした文物が流されることには、政治的意図が働いていると著者は考えてきた
- 密室協議の証拠はないが、歴史の節目で謀議があったと感じさせる証言や資料が断片的に存在する
- 13人目の乗員の証言:
- エノラゲイは1945年8月6日に広島に原爆を投下したB29で、公式発表では乗員は12人とされてきた
- 2009年夏、国連総会議長でカトリックの幹部神父でもあるニカラグアのデスコト氏が、日本でのあいさつで「13人目はカトリックの神父だった」と明かし、日本人に謝罪した
- 出撃直前の記念写真の中には神父の姿をした人物が写っているものがあり、神父は乗員に祝福を与えたと伝えられる
- 兵士の葛藤と宗教:
- 現在もイラクやアフガニスタンの米軍には多数の従軍牧師がおり、兵士は祈らなければ極限状況に耐えられない
- 空爆の戦果確認モニターが白黒なのは、人を殺した手応えを弱めるためである
- エノラゲイの乗員も、何万人もの命を奪えば地獄に落ちるという恐怖を抱いていたはずで、だからこそ神父が同乗した
- 機長は「きみは天国にいける」という言葉を聞きながら投下ボタンを押したのではないかと推測できる
宗教戦争
- すべての戦争は宗教戦争:
- 13人目の乗員が神父だったことは、政治が宗教の力で投下ボタンを押させたという、政治による宗教利用を示す
- 十字軍からイラク戦争まで、あらゆる戦争の根底には宗教的な覇権争いがある
- 万物に神が宿ると考える日本人には、ひとつの神に純粋化しようとする求心力の強さが理解しにくい
- 日本は宗教対立で戦争を起こしたわけではないが、アメリカから見れば日本はキリスト教国でないという理由でもやっつけるべき対象だった
- 一神教の純粋化の力:
- 一神教では唯一の神のもとに世界を純粋化する力が常に働き、それが宗教的な求心力の源泉となっている
- その力が失われれば一神教は求心力を失い解体し、一神教に立つ国々も衰退する
- 純粋化の求心力は「自分たちだけが人間だ」という強烈な思考になって表れる
- 奴隷貿易とバチカン:
- 1600年、インドに渡った東インド会社の貿易商が「肌の黒い人は人間か」と尋ね、バチカンは「キリスト教徒ではない」という理由で「人間ではない」と回答した
- アフリカでも同様の手続きがとられ、貿易商はこの回答を待って現地の人々を奴隷として扱った。東インド会社の最大の取扱品目は奴隷だった
- キリスト教徒以外は人間ではないというバチカンの判断がヨーロッパに莫大な富をもたらしたのであり、宗教と侵略はワンセットである
- 「侵略」を「戦争」に置き換えれば、あらゆる戦争が宗教戦争だという理由がわかる
アメリカがナチスドイツに原爆を落とさなかった理由
- 日本への原爆投下:
- キリスト教徒以外は人間ではないという思想は第二次大戦時にも生きており、今も生きつづけている
- 米軍は日本全土を絨毯爆撃したうえ、とどめのように広島・長崎に原爆を落とし、日本は大量殺戮実験のモルモットにされた
- キリスト教国であるドイツには原爆を落とさなかったことが、日本人を人間と見ていなかったことを示している
- イラク戦争やアフガニスタン戦争で大量殺戮兵器が許される論理の奥底にも、同じ思想が流れている
- 乗員の宗派とWASP:
- 東インド会社の時代は宗教の権威が強く、バチカンの判断は最大限尊重された
- 公式の乗員12人はみなカトリックで、プロテスタントは一人もいない。前線に立つ庶民はたいていカトリックである
- アメリカの支配層は白人・アングロサクソン・プロテスタントのWASPである
- アングロサクソン人は5世紀ごろイギリスに渡ったゲルマン系の人々で、資本主義を成功に導いた中心勢力であり、現代のグローバル資本主義もWASPによってもたらされた
ケネディ大統領、キング牧師が殺された理由
- WASP支配は崩れていない:
- 純血のアングロサクソンはいないが、WASPであることは今も支配層のインナーサークル参加要件とされている
- オバマ大統領の就任などで風潮が緩んだように見えるが、WASP支配が崩れたと考えるのは早計である
- 正統派WASPのブッシュは失態をくり返し金融危機を招いたが、後始末をオバマに託して悠々自適に暮らしている
- カトリックのケネディがプロテスタントなら、プロテスタントのキング牧師が黒人でなければ、殺されることはなかっただろう
- 「カトリックのせいにすればいい」:
- 第二次大戦当時、絶大な権力を握っていたWASPは、原爆投下で自分たちの手を汚したくなかったと考えられる
- 大量殺戮をすれば「ナチスと同じだ」と糾弾され権力に重大な欠陥が生じるため、その汚名を前線のカトリック兵士に付け替えた
- アメリカ政府は「戦争の早期終結には原爆しかなかった」という理由を世界に信じ込ませたが、資源も尽きた国に対してその理由は説得力を持たない
- さらに日本人には「戦争という罪をおかしたから原爆を落とされた」という罪の意識を植えつけた
- 「落とされた」のではなく「落とした」:
- 広島の慰霊碑の「過ちは繰返しませぬから」は、誰の何の過ちかという点で今も論争の的である
- 「原爆を落とされた」という思考は、超越的な力に罰を受けたかのような印象を与え、神父が神の怒りとして原爆を落としたイメージと符合する
- この思考の浸透とともに戦争の罪の意識が刷り込まれたが、事実は当時のアメリカ大統領が「落とした」のである
- デスコト氏の謝罪の意味:
- デスコト氏は「アメリカカトリック教会の神父」と強調しており、当時のバチカンが必ずしも同調していなかったニュアンスが感じられる
- 神父の同乗は、死刑執行に神父や牧師が立ち会うのと同様の論理による配慮だった
- 著者はこの事実を公にしたローマ教会を高く評価するとブログに記した。64年後のこの公表にはバチカンのお墨付きがあったに違いない
俺の女をとりやがって教
- 人間は本来殺すことを嫌う:
- 戦争とは人殺しであるが、人を殺すことが好きな遺伝子は進化の過程で淘汰されている
- 人間の遺伝子には他の種を殺すことも嫌だという情報が組み込まれており、牛供養・馬供養の碑や、祭祀の場でもあった縄文時代の貝塚がその表れである
- 動物は同じ種族を殺さず、争いもとどめを刺す前に決着するが、人間は同じ種を殺すことができる唯一の種である
- 一線を超えさせる論理:
- 交際相手をとられた男性が相手を殺すのは、女は自分の所有物という儒教由来の価値観による
- 暴力団が「なめられないために年に1人は殺す」のも、細い論理で「殺すのは嫌だ」という情報を覆すものである
- 死刑制度も人殺しを正当化しており、犯罪者が死刑を恐れて逡巡することはほとんどなく、抑止力の意味ははじめからない
- 法務大臣が執行を命じるたびに「理由があれば人を殺してもいい」という価値観が社会的に強化される
- 被害者救済制度と減免のない終身刑を整備すれば、死刑制度の廃止は可能なはずである
- 広義の宗教現象:
- 人間に禁忌として埋め込まれた一線を超えさせる論理を持つものは、すべて宗教である
- 「俺の女をとりやがって教」「なめると殺しますよ教」、司法制度の「殺したら殺しますよ教」がその例である
- こうした広い意味の宗教現象が突き動かさないかぎり、人間は人殺しができない
「お国のため」という宗教
- 戦争の本質はビジネス:
- 人殺しの論理を国家単位で遂行するのが戦争であり、戦争を主権国家の権利とする国際法上の常識自体が危険な価値観である
- 日本人は「お国のため」、アメリカ軍人は「アメリカのため」に戦うといい、ベトナム・イラク・アフガニスタン戦争もそれぞれ国益の名目で行われた
- その理念を人間目線にまで引きおろすと、単なる利害の対立、つまりビジネスに還元される
- 組織的な宗教利用:
- 利害の対立をあからさまにしないため、政治は組織的に宗教を利用する
- 原爆の長期的影響をはかる実験のために、日本人はキリスト教徒でないイエローモンキーだと宣伝し、投下にはカトリックの神父を利用した
- 当時のアメリカの本音は「俺の利権に手を出しやがって教」「お前らなんか、大量破壊兵器で殺すぞ教」である
- バチカンの歯ぎしり:
- 当時すでに、宗教で抑制できないほど政治の力が強くなっていた
- デスコト氏が今になって13人目を明かしたのは、バチカンの歯ぎしりではないか
- アメリカはバチカンが「ノー」と言っても原爆投下を遂行するほどの力を持ち、バチカンは政治の尻に敷かれたわが身を振り返っている
宗教家にこころから悪い人はまずいない。でも権力者に極悪人がいる!
- 国家的な宗教現象:
- 自由と正義を振りかざして戦争をするアメリカはアメリカ教、資本主義に従わない国を滅ぼせと考える人々は資本主義教である
- かつてのマルクス・レーニン主義もマルクス・レーニン教であり、今後は中華思想の中国教も台頭してくるだろう
- その裏で利益のぶんどり合戦が行われ、手段として広義の宗教が利用され戦争が遂行される
- すべての戦争は宗教戦争だが主導するのは政治:
- 戦争は、この世にはひとつの価値観しかないと人々を洗脳することによって行われる
- しかしそれは政治が主導するものであり、利用される側の宗教には戦争を起こす力も止める力もない
- 宗教家と権力者:
- 本物の宗教者はあの世に関心を寄せ世俗に興味がないため、大それた悪人はいない(悪事を働いても織田無道程度が関の山)
- 一方、世俗の権力者には、自らの利益のために大量殺戮も平気で行う極悪人がいる。世俗への執念が悪事のビジョンを描かせる
- 次章への導入:
- 21世紀に宗教は決定的な致命傷を抱えるようになり、状況はよくなりそうにない
- 次章では宗教の致命傷について考察する
第3章 神は存在するのか?
神は本当に存在しないか?
- 脳が生み出す幻覚のリアリティー:
- 脳が生み出す幻覚の世界は、物理空間と同じ臨場感を持つ
- 脳はいい加減な情報処理器官であり、情報処理ミスによる現象をいくらでもリアルに感じてしまう
- ストーリーさえ上手くできていれば、人間はリアルな神秘をいくらでも体験できる
- 物理情報と非物理情報が同じ臨場感をもたらすことを徹底的に解明したのが認知科学である
- 東洋思想と釈迦:
- バラモン教の伝統と釈迦の伝統の差は、アートマン(自我)が実在するか否かの一点のみである
- 釈迦以外のすべての東洋思想(バラモン教、タオ、道教、儒教)はアートマンの実在を認めてきた
- 釈迦はアートマンさえ空だとする、東洋思想で最もラディカルな考えを展開した
- 東洋思想は宇宙を情報空間とする前提に立っており、認知科学とほとんど違和感なく合致する
- 西洋思想の二元論とその転換:
- 西洋では、物理空間は現実、情報空間は心が生み出す非現実という二元論が長く支配してきた
- 1980年代に量子力学の成功、不完全性定理の数学全般での証明、ポスト構造主義、非単調論理への移行といったパラダイム転換が起き、西洋はようやく二元論から抜け出した
- 同時に、心理学・言語学・神経科学・人工知能などの学際分野である認知科学が発展した
- 認知科学は人間が抱くリアリティーの定義を180度覆した
認知科学以前と認知科学以降のリアリティー
- 脳コンピューター・インターフェース:
- 私たちはいまだに、現実を五感に基づく物理空間の情報だと考えている
- 脳に電極を埋め込みコンピューターと情報をやりとりする技術により、両腕を失った人が意識するだけでロボットアームを操作する実験が成功している
- この技術は、コンピューターから脳への情報伝達も成り立つこと、すなわち脳にリアルな世界を構築させられることを示している
- 人間での実験は人道上行われていないが、マウスやラットの実験ではすでに大きな成果をあげている
- 映画『マトリックス』は、この技術モデルの上にストーリーを成り立たせた作品である
- 認知科学におけるリアリティーの定義:
- 外部コンピューターが生成した情報を脳に渡せば、その世界がその人の現実世界になる
- 認知科学以降、情報空間の情報によって生み出された世界も同じ現実とされる
- リアリティーとは、いま本人にとって臨場感のある世界であり、脳幹的にはホメオスタシスを築いている対象である
- 映画・ラジオ・読書に没頭しているときは、その世界がその人の現実世界になる
- 認知科学は、ストーリーさえ上手ければいくらでもリアルな神秘体験ができることを証明した
ヴェルナー・ハイゼンベルクの不確定性原理
- 不確定性原理の発端:
- 1980年代のパラダイム転換と認知科学の発達の背景には、不確定性原理と不完全性定理という2つの大発見があり、神の存在を語る上で非常に重大である
- 不確定性原理は1927年にハイゼンベルクが提唱した量子力学の中心原理のひとつである
- 電子の位置を測るには波長の短い光を当てる必要があるが、短い波長の光は高エネルギーのため電子を吹き飛ばしてしまう
- 「どこにあるか知ろうとするとどこにあるかわからない」ことが不確定性原理の発端となった
- Δl×Δv>h:
- 位置の分布Δlと運動の分布Δvの積は、プランク定数hより大きく、絶対にゼロにならない
- これは位置と運動を同時に知ることはできないことを表し、ボーアとハイゼンベルクの最初の不確定性原理である
- 二重スリット実験では、電子を1個しか飛ばしていないのに干渉縞が現れ、存在は確率的なものでしかないことが示された
- 以後、不確定性は机上の理論ではなく実際の物理現象として理解されるようになった
- 小学校で不確定性原理を教えよ:
- 温度計をお湯に入れればお湯の温度が変わるように、すべての計測は計測結果に影響を与える
- 計測可能だと教えることは、この世に正しいひとつのモノサシがあると洗脳することと同じである
- 量子論は、正しいひとつのモノサシは存在しえないことを教えている
- それを理解した子どもは、「どちらの宗教が正しいか決めるのは不可能」と考え、戦争の論理を否定するようになる
量子論によって「この世には真空がない」ことが証明された意味
- Δe×Δt>h と時間・空間の不連続性:
- 現代量子力学で最も有名な不確定性の公式は、エネルギーの分布Δeと時間の分布Δtの積がhより大きいというものである
- ΔeもΔtもゼロになりえないため、プランク定数より小さい時間はつくれず、時間には最小ユニット(プランク時間=10のマイナス44乗秒)がある
- 空間にも最小単位(プランクメートル)があり、時間と空間はともに不連続であることがわかっている
- 著者は、不連続なものを飛び越えられるのが生命現象であり、時間と空間が流れているのは生命だけだとする
- この世に真空はない:
- Δe×Δt>hは、エネルギーがゼロの状態をつくれないことを示す
- アインシュタインの方程式からエネルギーと物質は同じものであり、物質においてもゼロの状態はつくれない
- 真空をつくった瞬間に確率によって素粒子が生まれてしまう
- 従来は真空の中に物質が転がっているとされてきたが、1960年代に量子論によって本来の意味での真空はないことがわかった
いずれ人類は宇宙さえも創る
- 量子加速器と素粒子:
- 量子加速器はΔe×Δt>hを能動的に利用し、ねらった時間にねらったエネルギーを与えて、ねらった素粒子を生み出す
- 世界最大の加速器はEUの大型ハドロン衝突型加速器で、2008年に稼動し、全周27キロは山手線に匹敵する
- これにより唯一未発見のヒッグス粒子が出てくることは間違いないとされ、解析には3~5年かかる
- ヒッグス粒子が見つかれば人類はすべての素粒子をつくったことになり、宇宙の構成要素をすべてつくったに等しい
- 宗教的右派の反発:
- 宗教では宇宙は神がつくったとされるが、人類はその領域に肉薄しており、いずれ宇宙さえつくる能力を蓄えるかもしれない
- それを「神への重大な挑戦」とする宗教的右派がここ10~20年で増え、神秘主義の復権を目論んでいる
- 『ダヴィンチ・コード』の著者ダン・ブラウンはその広告塔である
量子論と「空」
- 空の概念:
- 量子論は、この世が「空」であるという釈迦の思想を裏づけている
- 般若心経の「色即是空 空即是色」は、すべての物事は空によって成立し、空こそが物事であるという意味である
- 龍樹は『中論』で、草木で編んだ庵は解体すれば庵でなくなるため、「成立している」とも「成立していない」ともいえると説いた
- 現象を成り立たせているのは物事の関係性であり、それが「空」であって、すべての現象は関係性次第で「有であり、無である」
- 超ひも理論との合致:
- 宇宙にはプランク定数hの長さのひもが充満しており、振動しているときが素粒子(有)、振動していないときが真空(無)である
- 振動していないひもは計測不能のため、定義上「ない」ことになっている
- 量子論が明らかにした世界の構造と釈迦の空の概念は、非常によく合致する
東京タワーからハンカチを落として、落ちる場所は絶対にわからない!
- 確率とランダム性:
- 現代物理学は宗教的な運命論を否定する。量子の状態はすべて確率であり、確率100%の現象はない
- 東京タワーの頂上からハンカチを落としても、落ちる場所をあらかじめ知る方法はない
- 1センチ後の位置が99%正確にわかるとしても、333メートルから落とせば0.99を3万回以上かけることになり、正確さはゼロに近づく
- 高いところから落とすほどランダム性が上がる
- 「神の思し召し」の否定:
- 宗教では事故で子どもが死ぬと神父や牧師は「神の思し召し」というが、全知全能の神ならいつ決めても同じで、136億年前の宇宙創造時に決めたことになる
- 現代物理学では、物事が136億年前に決まっていることなどありえず、すべては確率とランダム性に左右される
- したがって、量子論の上ではすでに「神は死んでいる」
ユークリッド幾何学の誤解
- 不完全性定理と情報空間:
- 不確定性原理が物理空間の関係性を規定するなら、情報空間では不完全性定理がそれを規定する
- 不完全性定理はゲーデルが1931年に発表し、1980年代に数学全般で証明されたことで、情報空間でも「神は死んでいる」ことが決定的になった
- 系と公理:
- 系(システム)とは、公理と定理が集まって成り立つもので、ユークリッド幾何学もひとつの系である
- 不完全性定理以前は、公理はアプリオリに正しく証明不要なものとされてきた
- しかしユークリッドは『原論』で「公理は最初から正しい」とは書いておらず、「以下を正しいと要請する」、つまり仮定として書いていた
- 2500年間ユークリッドは誤解され、公理は証明不要で正しいと教えられてきた
- 系が完全であるための条件:
- 系のなかに互いに矛盾する命題が入っていないこと
- 系のなかに証明不能の命題が入っていないこと
- この2つを満たしたとき、系は完全であるとされる
ゲーデルの証明不能命題
- 神の学問としての数学とヒルベルト・プログラム:
- 不完全性定理以前、数学は完全な世界であるがゆえに神の学問とされ、学問ヒエラルキーの頂点にあった
- ヒルベルトはプリンストン大学で、世界的頭脳を集めて数学という系の完全性を証明するヒルベルト・プログラムを推進した
- ゲーデルの不完全性定理:
- 1931年、ウィーン大学で学位をとったばかりの25歳のゲーデルが、不完全性定理でヒルベルト・プログラムを一撃で打ち壊した
- 不完全性定理は、数学の完全性と無矛盾性が両立することは不可能であることを示したものである
- ゲーデルは「この命題は証明できない」という証明不能命題を考案し、それを証明できてもできなくても、系の完全性が崩れることを示した
- 翌1932年、ノイマンに招かれたゲーデルはプリンストン大学でゲーデルレクチャーを行い、ヒルベルト・プログラムは大幅な修正を余儀なくされた
- ゲーデルの証明の限界:
- ゲーデルが用いたのは「自然数論を含む帰納的に証明できる公理系」という限定された系だった
- より大きな系にも不完全性が入ると予測したが証明はしておらず、完全な系が存在する可能性はまだ残っていた
1991年は神が正式に死んだ年
- チャイティンの不完全性定理:
- 数学者・コンピューター科学者のチャイティンが、1987年に完全な系が存在する可能性を完全に打ち砕いた
- 彼はLISPを用いて、すべてのことに偶発性が存在し、あらかじめ決まった法則性はないことを証明した
- 1989年のカーネギーメロン大学でのレクチャーで、世界中の数学者がその衝撃の大きさに度肝を抜かれた
- プログラムにバグがないと証明しても記述言語にバグがある可能性があるように、物理学の理論が完全でも、それを記述する数学にバグがある可能性がある
- 人間の知の体系すべてが不完全:
- 数学はあらゆる学問の最も純粋な記述言語であり、不完全なものから完全な系は生み出せない
- 数学全般の不完全性の証明は、学問のあらゆる系、つまり人間の知の体系すべてが不完全であることの証明と同じである
- 宗教における全知全能の神とは「万物を創造した完全な系」であるため、チャイティンの証明によれば神は存在しない
- グリムの定理:
- 宗教哲学者パトリック・グリムは1991年、「神を完全な系と定義すると、ゲーデル=チャイティンの定理により神は存在しない」と証明した
- 神という系があっても、必ず矛盾や神にも証明できない命題が入り込むため、それは神ではない
- 覆すには数学が完全であることを証明しなければならず不可能なため、グリムの定理を覆せる哲学者・宗教学者はいない
- 神と呼ぶ対象の存在を主張するなら「完全ではない」と認めるべきであり、子を亡くした家族に「神の思し召し」と言ってはならない
- 1991年は神が正式に死んだ年である
ゲーデル、チャイティンの最期
- 神秘体験と恐れ:
- 神がいないことは科学ではっきり証明されている
- 神秘体験は、神がいるからではなく、脳が情報処理を誤って神の情報をつくってしまうことでもたらされる
- それでも神に救いを求める人が絶えないのは、不確定で不完全な世界に人々が強烈な恐れを抱いている証左である
- ゲーデルの晩年:
- ゲーデルはプリンストン高等研究所でアインシュタインと親密に交流し、一般相対性理論の「ゲーデル解」を教えた
- 敬虔なユダヤ教徒だったアインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言って死んだが、量子論の成功によりアインシュタインの負けである
- 敬虔なキリスト教徒だったとみられるゲーデルは、自らの証明が神の存在を否定することに悩み、残りの人生を神の存在証明に費やした
- 膨大なメモを残した末に精神を病み、療養先の精神病院で餓死した
- 著者は、宗教のために大偉業が蹉跌となったゲーデルの人生に、宗教の怖さを見る
- チャイティンの悲観:
- チャイティンも論文の最後に「なんと暗い証明をしてしまったことか」という悲観的な一節を記している
- ヨーロッパ的な一神教の信者にとって、神を否定することは大変な苦痛を伴うのかもしれない
- ポスト宗教の時代へ:
- 神が正式に死んだ後の21世紀に生きる私たちは、こうしたメンタリティーと決別すべき時代にさしかかっていると自覚すべきである
- 次章では西洋のキリスト教と東洋の仏教の根本的な相違を述べ、釈迦の教えの本質とポスト宗教の時代の生き方を明らかにする
第4章 西洋のキリスト教と東洋の仏教
アプリオリ
- アプリオリと神:
- アプリオリとはカントが『純粋理性批判』で使った概念で、経験的認識に先立つ自明な認識や概念(先験的)をさす
- 数学の公理はアプリオリなものと考えられ、カントもその例としてあげている
- 神もアプリオリなもののひとつであり、無矛盾かつ完全という神の公理系である
- 東洋・西洋の宗教におけるアプリオリ:
- 道教のタオは「それだけであるもの」という意味で、まさに公理である
- バラモン教では宇宙の根本原理ブラフマンも、自我であるアートマンも永続する公理とされ、生前・死後もあるアートマンから輪廻の概念が生まれた
- ユダヤ教の神エホバ(キリスト教のゴッド)は「私はある」という意味で、親も寿命もない未来永劫の真理とされる
- あらゆる宗教は、そういう神がいるとアプリオリに考えるところから出発している
- 釈迦による否定:
- 約2500年前、釈迦は「ブラフマンはいない」と唱え、この世にアプリオリなものは何ひとつ存在しないと徹底的に否定した
- 釈迦は不完全性定理を主張したようなものである
- ゲーデル=チャイティンの定理でアプリオリなものはないと証明済みなのに、評論家が「アプリオリにわかっている」と衒学的に相手を黙らせるエセ知識がいまだに幅を利かせている
釈迦は王侯貴族
- 広まらなかった釈迦の教え:
- 釈迦の教えはほとんど広まらず、起きたムーブメントは超能力的な意味合いのものだったと考えられる
- 著者の私見では、釈迦は天才的なヨガ行者・気功師で、内部表現の書き換えにより病気を治したのであり、オカルトではない
- 人々は超人としてバラモンの1人である釈迦を拝んだのであり、ラディカルな思想に共感したわけではない
- カースト制と釈迦の身分:
- カースト制は、バラモン(司祭)、クシャトリア(王・貴族)、ヴァイシャ(平民)、シュードラ(奴隷)の4階層に分かれる
- 釈迦国の王子である釈迦はクシャトリアの最上位クラスに属していた
- 王子がバラモンの修行を始めたことは戒律違反だが、自国や属国・同盟国のバラモンは「王子だから大目に見よう」としたのだろう
- 王の息子でなければ、釈迦は修行を始めた辺りで殺されていただろう
釈迦の思想
- 宗教としての弱さ:
- 釈迦の教えは宗教としては圧倒的に弱いが、思想としては圧倒的に強力である
- アプリオリ性も自我(アートマン)も否定する釈迦は完全無抵抗主義であり、神に完全性と恐怖からの解放を求める宗教としてこれほど弱いものはない
- あらゆる宗教に内在する矛盾:
- 部分情報である人間に、なぜ完全情報(神)のことがわかるのかという問題である
- 人間である法皇に神が神だとわかるはずがなく、最終解脱者でもないオウム信者に麻原が最終解脱者だとわかるはずもない
- 神を語る人間は全員、わかるはずのないものをわかると確信犯で嘘をついている
- 釈迦による解決:
- 釈迦は神を否定した結果、人々が神を必要とする理由を全部解決した
- 完全情報への憧れには「完全情報はこの世にない」、死の恐怖には「死んだら怖がっている君はいない」と答える
- それにより人間は幻想から解放され、釈迦はそれを「未来も幻想、過去も幻想」と教えた
毒矢のたとえ
- 阿含経典の教え:
- 毒矢が刺さったとき、どこから飛んできたか、どんな毒か、誰の仕業かを考える前に、まず矢を抜きなさいという教えである
- あの世や未来を語ることは妄想であり、目の前のやるべきことをやれという意味である
- 釈迦は「あの世はない」「霊魂はない」と直接言及せず、語ること自体がムダだとして答えていない
- 「悪魔の宗教」:
- キリスト教世界では長い間、神を否定する仏教を「悪魔の宗教」と呼んでいた
- 釈迦は悪魔も否定しているので、彼らの論理のモノサシで釈迦を計れるはずはない
- アプリオリ性を否定し神がいないとする宗教は世界で仏教だけであり、だからこそ数で圧倒的に負ける弱い宗教である
- 釈迦の教えは西洋的定義では宗教とはいえないが、仏陀という超人になるという意味で宗教的思想・宗教現象と捉えられる
釈迦は暗殺された?
- カースト制度への挑戦:
- 釈迦の布教で有名なバラモンが弟子となり、仏教はバラモン教をしのぐ最大の宗教になったとされるが、信者にとって釈迦は新しいバラモンの1人にすぎなかった
- 釈迦はヴァイシャや不可触民からも仏弟子を出し、女性を出家させたが、これはバラモンにとって重大な神への冒涜であり、身分制度を揺るがす反逆行為だった
- 教団の反社会性ゆえに、多くの弟子たちが暗殺されている
- 釈迦の死:
- 80歳での釈迦の死も暗殺だった可能性が高いと著者は考える。20世紀にもカースト制度を壊そうとしたガンジーが暗殺されている
- 死因は在家信者チュンダが持参したキノコに毒キノコが混じっていたこととされる
- チュンダ本人が毒を盛った可能性は低いが、何者かが毒キノコを混ぜた可能性は十分ある
- 実際、教団の中心的な弟子たちは皆殺しのような目に遭ったと伝えられる
お経を唱えることには意味がない
- お経の成立と釈迦の2つの注文:
- 死を予言した釈迦に対し、弟子たちは釈迦の言葉を文章に遺して死後に読み聞かせることを提案し、それがお経となった
- 1つ目の注文: 弟子たちが提案した古語のサンスクリット語文語を却下し、誰にでもわかるよう口語の生きた言葉で伝えよとした
- サンスクリット語は文法が複雑で、カースト上位の出身者しか理解できない。釈迦の話したマガダ語は滅んだが、パーリ語の経典は南インドやスリランカに伝わっている
- 2つ目の注文: 「私の指ではなく、私の指さすところ(悟りの世界)を見なさい」とし、指をいくら正確に記述しても意味がないと教えた
- 釈迦の意図からの逸脱:
- 経典はサンスクリット語で現代に伝えられている
- 信者は指そのもののどれがいいかを競い、どのお経が優れているかを論争し、お経を唱えるだけの宗教に変わってしまった
2000年前の上座部仏教の煩悩
- 仏弟子の権威化:
- 大乗仏教は釈迦の没後500年ほどで生まれたムーブメントである
- 代々の仏弟子が「私を上座と呼べ」「私はバラモン出身だ」とふんぞり返り、「代わりに修行してやるから費用を負担しろ」という風潮が生まれた
- 生産活動をしない出家者とお布施を差し出す在家という組織経営上の弊害が、釈迦の死後100年ほどで顕著になった
- 釈迦の時代の出家者:
- 出家者の財産は爪楊枝・お椀・衣3枚(着用・着替え・寝るときの敷物)のみだった
- 衣は死体をくるんでいた糞掃衣で、染みの残る黄色が現在の黄色い袈裟に受け継がれている
- 出家時は全財産を家族に置いていくか地元に寄付する決まりで、寺もなかった
- 地面に寝て、午前は托鉢、1日1食、あとは修行という生活で、泥棒にあったためしがない
- 根本分裂と大乗ムーブメント:
- 保守的な上座部に対抗する大衆部が生まれ「根本分裂」が起き、上座部への反目が生きとし生けるものを救うムーブメントに結実した
- 釈迦の遺骨(仏舎利)を祭るストゥパ(卒塔婆)の周りで教えを説く墓守のような「話師」たちが、大衆とともに大乗ムーブメントの中心になった
- その中から『法華経』『華厳経』など大乗経典が生まれた
- 宗教は教祖を離れると組織の強化と防衛の論理が働き、権力闘争の場に堕してしまう
釈迦はマントラを否定した!
- 大乗と小乗:
- 大乗(マハヤーナ)は人々みんなに悟らせようという理想を掲げ、自分の悟りしか考えない上座部=小乗(ヒマヤーナ)と一線を画した
- ただし釈迦の教えは最初から大乗であり、大乗が大きな理想を掲げたという通念は微妙な偽りで、いわば先祖がえりである
- 大乗の欠点1: マントラ化:
- 釈迦はマントラ(呪文)を否定し、わけのわからない呪文を唱えても何にもならないと教えた
- 大乗はサンスクリット語で記述することから始め、意味もわからず唱えることに終始したため、大衆にとって呪文の宗教になった
- 大乗の欠点2: 体感の喪失:
- 釈迦の修行はヨーガと同じく頭と体の両方を使い、身体で理解するものである
- 大乗ではお経の暗記やマントラ的な唱和が修行となり、空を体感する瞑想の部分がなくなった
- 現代の上座部仏教は瞑想修行を守り続けている。大乗でも瞑想は復活したが、禅のように釈迦の瞑想から変質している
- [MEMO]
- すると、技術が発展し脳に直接クオリアを流し込めるようになれば人類は悟り放題になるのではないか
仏教は日本へどう伝わったか?
- 中国での道教化:
- 日本に伝わったのは中国経由の仏教で、平安時代ごろに最澄・空海が中国に学びに行っている
- 仏教は中国がインドから輸入した瞬間に道教に変わった
- 儒教(支配階層の思想)と道教(世俗の迷信を集めた宗教)の関係は、インドのバラモン教とヒンドゥー教の関係と同じである
- 「経」と翻訳:
- 「経」は儒教の言葉(四書五経)であり、道教では「タオを記述する書」の意味である
- 鳩摩羅什や玄奘三蔵らが漢訳すると、オリジナルのサンスクリット語経典はすべて捨てられたと伝えられる
- 般若心経は中国で最初から呪文としてつくられ、後からサンスクリット語に翻訳されたという研究もある
- 釈迦の「アプリオリなものはない」という宗教が、中国の「アプリオリなものはある」という宗教に本質をごっそり入れ替えられた
釈迦の教えはハードコア
- 日本仏教の正統性への誤解:
- 日本の仏教は道教化された仏教と儒教が混じったもので、その証拠に仏教にはない位牌の概念が受け継がれている
- 804年に最澄・空海が唐で学んだのも道教化された仏教であり、空海は釈迦の仏教とずれた中期密教を伝えた
- 日本に伝わった大乗仏教を正統とみなすのは大誤解である
- 世界的なコンセンサス:
- 仏教界は「インドの仏教はイスラム軍の侵攻で滅び、日本の大乗仏教が正統」と反論するが、日本でしか通用しない見解である
- 北・東インドの高僧はネパールやチベットに逃れて仏教を伝えた
- 世界的には、オリジナルの仏教を伝えるのはチベット仏教と、パーリ語でスリランカなどに伝わった南伝仏教とされる
- チベット仏教も密教の部分はバラモン教やボン教に由来し、古い密教的要素が同居するタイムカプセルのようなものである
- 「空」の発見:
- 日本人が釈迦の「空」の教えをはじめて知ったのは昭和になってからである
- 道教の「無」の教えがタオとともに伝わり、アプリオリがあるという教えとないという教えを両立させようとしたため、「空」は難解だという誤解が生じた
- 19世紀末にチベットで大量のサンスクリット語大乗経典が発見され、仏訳から独訳・英訳を経て、昭和に日本語訳された
- そこにはアートマンも空だとアプリオリを徹底的に否定する内容があり、日本人ははじめて釈迦の教えのハードコアさを知り、仏教学が盛り上がった
中沢新一とオウム真理教
- チベット仏教の歴史:
- チベットでは古くからのシャーマニズム(ボン教など)と習合したインド密教がニンマ派となった
- 13世紀初頭のイスラム軍侵攻で、ヴィクラマシーラ寺の座主シャーキャシュリーパドラが高僧とチベットに逃れ、仏教の総本山がチベットに移った
- サキャ派、カギュー派などが継承し、その後現在のダライ・ラマの宗派であるゲルグ派が生まれた
- 主流派はニンマ派との衝突を避けるため僧侶を取り込み、ニンマ派も本流の知識を吸収した
- 埋蔵経典と『チベット死者の書』:
- 既存の僧たちは正統派に糾弾されることを恐れ、自分たちの経典を土に埋め、それを釈迦のオリジナル経典と主張してニンマ派の正統性を訴えた
- 中沢新一がとりあげた『チベット死者の書』はその埋蔵経典であるが、NHKなどはオリジナル経典であるかのような番組を作った
- あの世の歩き方を語るその世界はシャーマニズムであり、釈迦の仏教とはまるで違う
- 仏教が密教を取り入れた理由:
- 信者獲得の方便であり、バラモン教が超能力をやれば仏教も対抗上やらざるをえず、超能力合戦がくり広げられた
- 「この世はすべて幻」と教えるには、誰よりも幻を上手に生み出せるほうがよく、マジックを見破る最強の方法は自分が一番のマジシャンになることだからである
- イスラム侵攻がなくても同様に密教化したと考えられ、チベット仏教の歴史はインド仏教の歴史とみなせる
- 世界の仏教学者はチベット仏教の釈迦の教えの部分に注目し、釈迦ではない部分に中沢新一とオウム真理教が注目した
- 日本仏教と苦行:
- 日本の仏教は仏教の歴史の埒外にあり、道教や老荘思想にもとづいた宗教で、オリジナルな仏教との接点を持たない
- お経を唱えることに利益があるとする方法論の確立とともに、空を身体で悟る「体感」の教えが消えていった
- 釈迦は餓死寸前まで苦行した末にスジャータからお粥をもらって生き延び、菩提樹の下で悟った後、苦行のムダを徹底的に語った
- それなのに日本の僧は「荒行」など苦行を正統な修行として実践しており、釈迦のいう修行(瞑想)と決定的に取り違えている
浄土は涅槃への中間地点
- 浄土の成立:
- 浄土信仰は、釈迦の入滅後600年以上たって大乗経典が成立する過程で、バラモン教から「神」の概念を取り込んだところから始まった
- 観無量寿経など中国でつくられたとみられるお経により、本来の仏教にない浄土という場所が想定された
- 仏教では娑婆(この世)のほかにあるのは涅槃(悟りの境地)だけだが、涅槃は遠すぎるため中間的な場所として浄土が用意された
- 戒名と阿弥陀如来:
- 戒名(法名)は仏弟子になった印で、本来は生前につけるべきものであり、仏になったわけではない
- 浄土には、いつでも涅槃に戻れるのに人々を助けるため待っている阿弥陀如来がいる
- 阿弥陀の本願(すべての者が悟るまで待つ)により、修行のしかたがわからない人でも仏陀にしてもらえ、時空のない浄土では一瞬で悟るのと同じである
- バラモン教的要素の混入:
- 大乗仏教には六道輪廻というバラモン教的な宗教観が残り、生まれ変わりの概念に結びついた
- 仏教の本質は「空」であり、涅槃は空を悟った人の境地であって場所ではない
- 誰もが行きやすい浄土という概念は宗教の組織化に便利で、日本では法然が浄土宗として体系化した
なぜ、南無阿弥陀仏と唱えるのか?
- 称名念仏の誕生:
- 当時は臨終の床に阿弥陀仏の仏像を置き、死に行く人の手と赤いひも(道教の縁結びの概念)で結んでいた
- 仏像は宋からの高価な輸入品で王侯貴族しか手に入らず、仏画でもよいと条件が緩和されたが、それも大金持ちしか手に入らなかった
- 法然は無量寿経に「阿弥陀仏の名号を念ずれば往生できる」という一節を見つけ、称名念仏を導入した
- 本来、念仏とは仏のイメージを念じる瞑想法だったが、称名念仏は名前を唱えれば同じ効果があるとするものである
- 称名念仏の副作用:
- 名前をたくさん唱えるほど効果が上がる苦行の一種と捉える人が現れた
- それは釈迦が否定した苦行であり、いくら唱えても釈迦の教えの理解には役立たない
- 親鸞の論理:
- 親鸞は阿弥陀の本願から出発し、「あなたはすでに救われており、念仏を唱えるのも阿弥陀さんにいわされている」とした
- ゆえに念仏は一言でよく、口に出さなくてもよく、100回唱えても1回も唱えなくても差はないと教えた
- これはキリスト教の神の無償の愛と同じで、世界宗教になりうる慈悲の思想である
- 仏説との違い:
- 親鸞の思想はあるがままの人間を手放しで肯定する新しい宗教の成立であり、もともとの仏説とは異なる
- 釈迦は無条件の愛による救いではなく、恐怖・焦り・歓喜・如来さえもすべてが関係性のなかでのみ成立する「空」であると悟り、安らかな心を持てと教えた
宗教は、この21世紀には不要
- 釈迦の思想の生命力:
- 釈迦の教えは無条件の愛といった幻想を売り物にせず、幻想を剥ぎ取り、その足かせから自由になることを教える
- 宗教的には貧弱でも、神の存在が科学で否定されたいま、思想的には強烈な生命力を放ちつつある
- ゼロベースの21世紀へ:
- 宗教は本質的に21世紀には不要である
- 世界はいまだに暗黒時代で、日本は平安時代の闇が支配しており、ありもしない価値のために争い・人間不信・収奪・戦争が絶えない
- 釈迦は「はやく宗教を必要としないところまで大人になれ」と促しているように思える
- 「神は死んだ」という事実と向き合い、21世紀の社会をゼロベースで考えれば、「コペルニクス的転回」が訪れるかもしれない
第5章 神・宗教から自由になる方法
従工場牧師
- 従軍牧師から従工場牧師へ:
- イラク戦争で兵士の精神的サポートを行った従軍牧師の成功が、アメリカ産業界に取り入れられ、工場で「従工場牧師」を見かけるようになった
- 世界的な経済格差の拡大:
- 経済格差の拡大は日本だけでなく、アメリカ、中国、ヨーロッパでも以前にもまして進んでいる
- 金融機関はバブル景気に乗った高リスクの投機で莫大な収益を上げ、リーマン・ブラザーズのCEOは07年度に約45億円の年収を得ていた
- 投機に失敗して莫大な損失を出すと政府が公的資金で救済したが、かつかつの給料を稼ぐ人たちには納得のいかない話である
- 金融サービスへの富の一極集中が進む過程で製造業従事者の所得は相対的に下がり、大きな格差が広がった
宗教の積極的ビジネス介入
- 従工場牧師導入の経緯:
- 製造業の生産性が相対的に低下するなか、企業は人件費抑制のため福利厚生費に目をつけたが、労働組合が強く一方的なカットはできなかった
- 将来への不安や希望の喪失はうつ病や事故につながり、医療費や休業補償がかさむ
- そこで定期的に牧師に説教をさせる制度を導入すると、精神的不調や事故が激減し、指を切断しても「神の思し召し」と言われて早く職場復帰するようになった
- 「アメリカ企業の福利厚生費圧縮と生産性向上」という記事の背景には、従工場牧師の導入が大きいと見られている
- 危険な兆候:
- 政治が宗教を戦争の道具にしてきたうえに、いよいよビジネスも宗教を利用し始めたのはたいへんグロテスクな話である
- 宗教は、夢や希望を失い意欲をなくした人間を都合よく動かす最も簡便な方法である
- 宗教がビジネスの現場に入り込めば利用に歯止めがかからず、人々は政治とビジネスの煩悩に食い物にされ、人類衰亡へのゲートが開いた
政教一致による自由
- 第一の選択肢=政教一致の世界に戻る:
- イスラム世界のように政治と宗教が完全に分離していない世界に戻ることである
- 政治家には極悪人がいるが、宗教家はあの世に最大の関心をおくため、人を殺してまで金を儲けようという煩悩はない
- 政治が主という構造を壊し、政治と宗教が合致する世界には戻れるはずで、身近な例では創価学会がやろうとしていることがそれである
- あの世で罰が当たることを恐れるため、誰もがいまの政治家よりまともな行動をとるだろう
- 第二の選択肢=政治と宗教の両方から自由になる:
- 政教一致は、人間のつくった幻想で人を縛るシステムを続けることであり、「自由」とはかけ離れている
- 政治と宗教から自由になるとは、この世の煩悩とあの世の煩悩の両方から自由になること、すなわち完全に自由になることである
- 現代ではこの世の興味は金銭に還元でき、だからこそ利益のためには人を殺してもいいという価値観が生まれる
- 金銭に還元できる煩悩から離れ、人生のゴールを宗教の教義やこの世の政治システムよりも抽象度の高いところに置けば、自由に満足して生きられる
- 著者はこれこそが、神の存在が正式に否定された21世紀の生き方だと考えている
完全に自由になるために
- 否定から入る方法:
- 世界のあらゆる宗教の矛盾点を洗い出す(例:キリスト教の最後の審判で、土葬・火葬・木っ端微塵になった死者が蘇ることは科学的に不可能)
- 「なぜそんな教義を信じるのか」と自問すれば、身に染みついた宗教でも客観視できる
- 政治についても同様に、各国の制度の矛盾を検討する(例:日本の特別会計200兆円の中身がなぜ明かされないのか)
- こうした否定によって、政治や宗教を超える論理を自分でつくるという結論に導ける
- 肯定から入る方法:
- 政治も宗教も検討対象にせず、釈迦の教えのように自我も空であると肯定し、自分という煩悩から離れて抽象度の高い世界に視点を移す
- 幸せの対象を自分から地球人全員、地球上のすべての生命、さらに宇宙にまで広げていく
- ほとんどの宗教は人間しか対象にしておらず、動物、知能を持ち始めるロボット、宇宙の生命体を想定していないため、この視点は宗教の枠を超える
- 自我の抽象度を上げることを人生のゴールに設定すれば、否定から入らなくても政治と宗教から自由になれる
- 政治家と宗教家の自己実現:
- 政治家の集まりで「将来総理になる」などの発言が目に余ったため、著者は「政治家の自己実現のために政治や国会があるわけではない」と発言した
- 政治家はキャリアのことしか頭になく、有権者は眼中にない
- 宗教家も職業として自己実現の手段にしており、「今年の冬は何人死んでくれるか」と皮算用し、信徒はその犠牲になっている
- 犠牲にならないためには、どちらからも自由になるしかない
餓死する人間が1人もでない世界
- 唯一の価値という幻想の否定:
- 完全に自由になった先に開けるのは、絶対的な唯一の価値が存在するという幻想を否定する世界である
- 宗教だけでなく資本主義もアメリカの一国主義も、ひとつの価値にすべてが還元できるという幻想で成り立っている
- 世界の王様として保障すべきもの:
- 著者が真っ先にイメージするのは、餓死する人間が1人もでない世界であり、まず生存権を世界的に保障することである
- もうひとつは機会の均等であり、どのように生まれても平等に機会が与えられることが大切で、そのために日本国憲法は教育を受ける権利を保障している
- 生存権が保障されていない現実:
- 世界の6人に1人、約11億人が飢餓状態にあり、餓死や栄養不良による病死が後を絶たない
- アフガニスタンやイラクでは多数の民間人が戦争に巻き込まれて命を落としている
2世議員と差別
- 機会の均等も保障されていない:
- インドではバラモン、クシャトリアに生まれなかった人は機会ゼロである
- NHKのアジア番組に典型的なバラモン出身女性が出演していたのを見て、著者はNHKがカースト制度強化の手助けをしていると感じた
- 表向き平等を装う国々でも、見えない身分制度はいまだにつづいている
- 日本の世襲議員:
- 民主党政権後も世襲議員は国会議員の25%を占め、国会議員の親を持つ子は当選確率がふつうの人の1万倍高い
- 最高裁が違憲とした1票の格差(5倍、4.4倍)は、1万倍に比べればかわいらしいものである
- 一番人気の職業である国会議員になれるかが親で決まるのは、インドのカースト制度と同じ結果である
- 国会議員の親を持つ人の立候補は違憲として例外なく禁止するくらいの措置をとってよい
権利と義務はひっくり返っている!
- 義務教育の問題:
- 本来、教育は国民の権利であって義務ではない
- 憲法第26条は、国民すべてに教育を受ける「権利」があり、それを満たすために親に子どもに教育を受けさせる「義務」があるという意味である
- 憲法はそもそも国家権力を規制するための法律であり、その性格を把握すれば教育が国民の義務であるはずはない
- 教育を義務と位置づけるから文部科学省は教育サービスを「してやっている」という態度を改めず、教育現場の崩壊も進んでいく
- 国家が押しつける義務:
- ほとんどの国が教育を義務と位置づけており、そこに作為的なものを感じる
- 国家は機会均等さえ実現できないのに、義務だけは強固に国民に押しつけてくる
- 著者の考えでは、人間にはあらゆる権利はあっても義務はなく、義務は1人1人が選択してとる行動である
- 義務を果たさないことは悪だという思い込みの蔓延に、国家という幻想を成り立たせる単純なトリックが隠されている
共産主義圏と資本主義圏
- 福祉と納税の義務は資本主義の発想:
- 共産主義や社会主義には福祉という概念がなく、それは国家が担う当たり前の仕事である
- 資本主義では競争の敗者を放置すると社会が荒むため、国が福祉で救済し、そのコストとして税金を徴収するのが納税の義務の理由である
- 共産主義国には税金という概念がなく、ベルリンの壁崩壊までは共産圏で納税する人は1人もいなかった
- 共産圏は貧しかったという誤解:
- ヨーロッパでは、旧共産圏の東欧からフランス、ドイツなどに来た人々が08年の金融危機で大量に失業している
- 東欧の人々が移動した最大の理由は、資本主義に変わって所得が減ったことである
- 当初は西側資本で好景気に沸いたが、自由競争の定着とインフレで実質賃金が下がり、共産主義時代より苦しい生活を強いられる人々が生まれた
- 戦後の一時期のソ連は資本主義より良い社会を実現していた部分もあり、戦費が資本主義では売り上げ、共産主義ではコストになるため、冷戦でアメリカは潤いソ連は疲弊した
- 資本主義こそが最善であるという価値観は疑ってかからなくてはならない
- [MEMO]
- ウクライナの飢餓輸出のような事例を無視してはいけない
- 政府が政策として一般市民に死を押し付けることができるのが共産国家
- 納税の義務への疑問:
- チリ大地震の被災者救援に飛んだ医師たちは、無償でも手弁当でも行ったはずである
- 権利を満たせない人がいれば医師はただで働くはずで、拒否するとすれば拒否しないと経済的に損をするメカニズムが社会に働いているからである
- そのメカニズムを取り払えば、税金を徴収しないと医療費が3割負担ですまないという理屈は通用しない
- [MEMO]
- 無償・手弁当で被災者救援に向かった医師は全体の何割か考えていない
- 一部の目立つ事例を見て全体を語るのは愚か
納税のシステムはいらない!
- 人間の前頭前野の進化:
- 前頭前野の内側部(社会的情動をつかさどる部分)が進化し、人間は他人のことを自分と同じように大切に感じられる
- 動物は「自分の子どもが」で行動するが、人間は「自分の子どもじゃないけれども」で行動し、ボランティアが生まれる
- 人類はそこまで進化しているので、本音で生存権と機会の均等を実現する世界をつくれるはずである
- 税金不要の世界:
- 経済システムは資本主義でも共産主義でもかまわないが、納税の義務は必要ない
- お金が唯一のモノサシだと考えるのは、誰もがそう思い込んでいるからにすぎず、本当にそうならボランティアは出てこない
- 道路や空港の整備も医療もボランティアがただで行い、大金持ちは税控除のためではなく自発的に寄付をすればよい
- 金銭欲に傾いた振り子を戻せば、お金は単なる交換手段に戻るはずである
- [MEMO]
- 流石に無理がある
- ではこの書籍も無料で配布するべきだが、そうはしていない
国会議員と公務員の仕事の対価は無給!
- お金が増える仕組みをなくす:
- 著者なら準備預金制度を撤廃・禁止し、日銀が理論上預金準備の1000倍のお金を市中に流せるような仕組みをなくす
- 利子をなくし、お金がお金を生むシステムを支える理由をなくす
- お金は「交換します」という印にすぎないので、ポイント制度や電子マネー、極端には貝殻でもよく、交換以外に価値のないものにすべきである
- 新しい国家の姿:
- 人々は働いて得たポイントで生活する
- 国会議員と公務員は無給とし、家族を含む衣食住のコストは全額保障し、それ以外のポイントは勤務時間外の副業で得る
- 公務員には商品・サービスを原価で売る法律をつくるので、少しの副業で何でも買え、政治家と役人の人件費は大幅に下がる
- 国の予算は全額寄付でまかない税金はなく、教育などの公的サービスも寄付で運営する
- 国家という概念も取り去り、地域ごとに必要なサイズの自治単位をつくり、地球全体の問題は世界的な投票システムで決める
- 国家をやめるメリット:
- あらゆるコストが下がる
- 世界の食糧はいまだ足りており、問題は国家単位の経済格差と富の偏在による分配の誤りなので、国境をなくせば餓死する人もいなくなる
- 戦争もなくなり世界は豊かになる。資本主義では軍備は売り上げに計上され、負担するのは納税者だけで、軍事産業などそれ以外は儲かっている
- 日本の国防予算は約5兆円だが、駐留米軍基地の土地活用で失われている利益(年間約5兆円)や表に出ない直接経費、米国製武器購入費もあり、総額12兆円とすれば軍備をやめると1人当たり年間12万円浮く
- ソ連・キューバの例と結論:
- この仕組みはかつてソ連が行い、いまもキューバが行っているものである
- ソ連は権力者の腐敗と冷戦の敗北で崩壊したが、冷戦がなければ次世代の世界統治モデルが生まれた可能性もあった
- 共産主義が正義とは思わないが、資本主義が唯一のモノサシと考えるのは21世紀においてナンセンスである
- 守るべきは生存権と機会の均等という基本的人権であり、地域ごとの多様な価値観を盛れる器に世界を変えるため、国家を上手になくす方法を国連で検討すべきである
この世に唯一絶対の価値の尺度はない
- 唯一のモノサシによる世界の純粋化:
- 世界が不確実・不確定だとわかったことで神は正式に死んだが、国家権力はいまだ資本主義という唯一のモノサシによる世界の純粋化を推し進めている
- オリンピックという洗脳:
- バンクーバー冬季五輪のフィギュアスケートで「4回転の得点が高い」という解説を聞き、著者は不愉快になった
- オリンピックは、世界中の人々を1番から66億番まで順位づけできるという洗脳を行っている
- メダルを取ってうれしいのも、選手から勇気をもらうのも、誰かに「そう感じなさい」と説かれてきた結果にすぎない
- メダルは誰の役にも立たず、せいぜい利権拡大で電通が喜ぶくらいである
- オリンピック委員会は利権の頂点に立ち、人間に順番をつけるよう洗脳しており、それは資本主義の下で競争し稼げというのと同じで、だからロスチャイルド家などの大金持ちに牛耳られている
- 結論:
- この世に唯一絶対の価値の尺度はなく、21世紀においては誰かが与えるモノサシはすべてまやかしであり、それ自体が宗教になっている
- 国家がなければ生きられない、税金がなければ国家が成り立たないという論理も同じで、過去も未来も人間は国家なしで生きていける
- 地域社会の費用は、国家を太らせる薄く広い税金ではなく、お金持ちの寄付として負担すればよい
- スコトーマ(盲点)が外れ、正しいと思わされてきた現実がそうではなかったと気づくとき、世界は中世の暗黒時代から、日本は平安時代の闇から脱する
おわりに
他人の価値観を捨て、自分の価値観で生きろ!
- 他人の価値に依存することの心地よさ:
- 神の存在や他人が勧める価値に依存することは、心の安定をもたらしやすい
- 他人の言葉に従えばすぐに支持・評価され、それを続けたいと思うのが人間の常である
- 対して自分だけの価値を見つけるのは簡単ではなく、見つけても評価されないことのほうが多い
- 他人の価値に沿った生き方の限界:
- 組織の価値観に則って評価され若くして重役になり、後輩の目標になっても、それが心から満足する人生になるとは限らない
- 誰も考えつかなかった仕事や会社の将来像を変える技術を成し遂げ、数十年後に「ずいぶん遠くまで歩いてこれた」と感慨に浸る自分を想像してほしい
- 神を信じるサイドに立ち続ければ重役コースで終わるが、自分の価値観で生きれば考えてもみないほど成功し満足する将来を手に入れられる
- 本書で神の問題を論じたのは、読者にこのことに気づいてもらうためである
コンフォート・ゾーンの外側に立て!
- ゴールは現状のコンフォート・ゾーンの外側に設定する:
- 心から満足する人生を送るには、人生のゴールを自分で決め、しかも現状のコンフォート・ゾーンの外側につくることである
- コンフォート・ゾーンの中では精神的に安定し失敗も起きないため、人間は無意識にそこにとどまろうとする
- しかしそこにとどまる限り飛躍的な成長はない
- 現状のコンフォート・ゾーンは過去の情動記憶で成り立っており、その内側のゴールは過去の自分に達成可能な範囲でしかない
- 夢はビジョンの範囲内でしか達成できないため、内側のゴールはいまの自分を続けるだけで終わる
- マインドは他人の言葉でつくられている:
- セルフ・イメージは自分固有のものではなく、「君はじっくり考える人間だ」といった他人の言葉が出発点になっている
- TPIE(タイス・プリンシプル・イン・エクセレンス)でいうセルフ・トークも、ほぼ100%過去に他人が自分について話した内容にもとづいている
- 神・資本主義・国家についての思い込みと同様に、他人の言葉によってありもしない価値を存在するかのように信じ込まされている
- TPIEによるゴール達成:
- ゴールにいる自分をイメージし臨場感を上げることで、コンフォート・ゾーンを現状とは異なるところまで広げる
- これにより過去に縛られて見えなかったものが見え、無意識にゴール達成の行動をとるようになり、どんなゴールも自然に達成できる
- このことは最新の機能脳科学で証明され、そのためのツールも確立されている
空
- 唯一の価値に向かった20世紀:
- 20世紀は世界がひとつの価値観に向かって純粋化を進めた100年だった
- 2度の世界大戦、米ソ冷戦、ベルリンの壁崩壊後のアメリカ一国主義を経て、イデオロギーを超えた文明の対立へと向かった
- 唯一の価値という袋小路に人々を追い立てれば対立や紛争が起こるのは当然であり、その押しつけは特定の国家の利益を実現する手段として行われている
- 私たちは、命や満足感を犠牲にしてまで推し進めることの意味や、誰がその価値を押しつけているのかに気づき始めている
- あらゆる価値を疑え:
- どのような価値も絶対ではなく、あらゆる価値を疑い、心の底から湧いてくる自分だけの価値を見いだすべきである
- 植えつけられた価値を信じ続けることは過去に囚われることであり、未来にこうなりたい、世界をこうしたいとだけ考え、ゴールへの近づき方に集中すればよい
- 個々の価値に上下や順位はなく、他人には取るに足らないものでも、それこそが大切にすべきものである
- 時代の変わり目:
- 釈迦の教えから2500年後の21世紀、私たちは神が正式に死んだという事実の前に立っている
- 釈迦の「空」の概念を改めて認識し直し、人間にまとわりついてきた迷信から解き放たれなければならない
- 人間の数だけある価値を互いに認め合い尊重し、それぞれが人生のゴールを実現できれば、世界はどんなに豊かな風景に見えることだろうか